2009年4月5日(日)

3:50
日付が変わってしまった。昨夜はあのあと仕事(つきみ野・中央林間)に行き、帰宅後豚しゃぶ食いながらワインを飲んで寝た。その時見たは、ほとんど覚えていない。目が覚めた後は北朝鮮からの「飛翔体」についてのニュースに釘付けとなった。途中で昼飯を食い、3時ごろ風呂に入ったが、結局午後4時になっても一向に発射の一報はなかった。夕方から今度は紹興酒を飲み始めて焼きそばで〆めた後、しばらくギターを弾いたりなどしていた。そのあと寝たが、そのとき見たは、

知らない者同士が一箇所に集められてしばらく同じ建物の中で一緒に過ごすという設定下にあったように思える。病院での泊まりがけの人間ドック、薬理治験、あるいは精神病院での生活?よくわからないが、その場所には病院めいた雰囲気があったようだ。退院間際に薬をもらって飲まされるシーンもあったからである。入院者同士ミーティングルームのような場所で議論を戦わせるような場面もあったような気がするが、詳しくは思い出せない。

いったん目が覚めた後、もう一度寝た。その時に見たは本当はもっと長かったようだが、最後の方しか覚えていない。

逗子の家に亀ヶ岡方面から帰ってくる。漕いでいた覚えは無いが自転車に乗っているくらいの速度で移動していたと思う。「今だったら何食ってもうまい」と思えるほど腹を空かしていたようだ。坂の上の空き地の前に、中年男性と中学生位の女の子(親子?)が待ち伏せするように立っていた。女の子はこっちに顔を向けていたのではっきり顔を確認できたが、例によって知らない子である。その子がすれ違いざまに私に何かカンに触るようなアンカリングワードをつぶやいたので、私は腹を立てて「クズ!」とその子に向かって叫んで通り過ぎた。家に着くと直前の苛立ちの余勢を買ってドアを開けながら怒鳴るような声で「ただいま!」と言った。すると中から母が「おかえり」と言った。家に上がると私はさっそく食べ物を探そうとしたようだ(カウンターの上にフランスパンが置かれているのが目に入った)。すると母が「あードキドキして落ち着かない。今日徹子の部屋の日なのよ」と言った。私は「ああそう言ってたね」と言った。出掛けにそんな話を聞いたような気がしたのである。「何時からなの?」と私が訊くと「6時半」と母は答えた。ダイニングの時計を見るともうすでに6時である。「もう6時だよ。大丈夫?」と言うと、「みんなでバスに乗り合わせて行くことになってるんだけど」と母は言った。その迎えの車がまだ来ないらしい。....といったところで目が覚めた。

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2008年12月24日から2011年6月11日までの日記。異常な日々。

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