2010年5月9日(日)
21:40
自室にて。日中天気は晴れだった。
〈一般事項〉
・仕事:リハウス3担当者分エリア。
〈特記事項〉
・ついに事故が起きた。仕事の帰り、稲城の坂道を走っているとき斜め前を走っていた車が、突然減速もせずに左折を始めたため、私はその車の腹にぶつかり転倒した。コリジョンキャンペーンというより初めから本当のコリジョン(衝突)を意図した工作だったと思われる。運転していた男から名刺を受け取ったところ、トヨタの営業社員だということがわかった。怪我は右膝・左ふくらはぎと左肘の打撲(右膝と左ふくらはぎは内出血がひどい)で、軽傷といったところ。バイクは起動したし、怪我の痛みも少なかったので、警察も呼ばずそこから再び帰途についたが、その道中やたらパトカーとすれ違い始めた。当然警察はこの事故について知っているはずだが、どの程度関与していてどのようなメッセージを込めて出現してきたのかはよくわからない。私が現場で警察を呼ぶというシナリオが想定されていたのに、私が呼ばなかったので肩透かしを食らった思いなのか?関与がなければ単に「事故を見ていたぞ」という仄めかしに過ぎないことになるが。
その帰り道では、遠くから薄っすら聞こえる声で「くさい」と言う通行人や携帯を覗き込む人間が次々と出現した。
【夢】
☆昨夜の深夜~明け方の睡眠時。
⒈《書き始めようとしたらジャストタイミングで救急車のサイレンが鳴り出した》街中の交差点(町田街道の根岸交差点に似ていたが、ディテールは違っていたと思う)の歩道に小泉元首相がいて、怒りをあらわにしながらボールを投げつけ始めた①。確か持っていたボールは三個あって、そのうち二つを立て続けに投げつけたが、そのあと目の前の車道を通過する車があった②ので、それを待ってから最後の一つを投げた。すると角に立っていたマンションの住民たちも、窓を開けて一斉に物を投げ始めた③。そのうち一つの部屋に「ハート引越センターの段ボール」が置いてあるのが窓の外からチラッと見えた。

⒉どこかの学校の構内にいたようだ。上階から降りてきて、教室に一旦戻ってから帰ろうと思っていたようだが、教室ではまだ授業が行われているらしく、前のほうに先生(男性)がいたので入れなかった。そのときふと左側を見ると、青い羽織袴姿でおしろいを顔に塗った歌舞伎風の侍がいて、私に向かって丁寧なおじぎをしたので、私も思わず会釈を返した。しかし彼は人としてはずいぶん小さかったので、何か仕掛けがあるんじゃないかと思って歩きながら見ていると、後ろから棒か線のようなものが出ていてその先を人が持って操作しているのが見えた。ああ操り人形だったのかと思った。
⒊逗子の商店街の中萬学院の脇辺りに居た。その周辺にはいつの間にかロケ班のように大勢の人々が集まっていて、確かバスも停まっていた。その中に兄がいたので、「撮影するの?聞いてないよ」などと言った。その後いったん場面が変わったようで、私が通りの向かい側にある見知らぬ建物の中で休憩していると、外から「次、小坪だって~!」と、私に呼びかけてくる子供の声がした。次のロケ現場ということらしい。私はバイクに乗って小坪に向かって走り出したのだが、目に映っていた町並みから考えると、なぜか完全に逆方向(桜山方面)に向かってしまっていたようだ。その間、次々とリアルな音楽が頭の中で聞こえ始めた。それは80年代風の歌謡曲といった感じのものが多かったが、知っている曲は一つもなかった。私はそれを聞きながら、「ついに起きている時にも堂々と音声送信をしてくるようになったか」と思った(実際には夢の中だったが)。しかし最後のほうに聞こえてきた曲は、はっきり私が歌っている通りに音が鳴っていて、自分で作っているという実感があった。結局橋のたもと(田越橋?)まで来たところでそのシーンは終わり、いつの間にかパープルレイン(昔母がやっていたスナック)の店内のような場所まで引き戻されていた。兄がいて、カレーライスとオムレツの載った小さなプレートを食べながら(トレイにはあと二つ別メニューのプレートが載っていた)、「こういうの作ってくれればいいのに。作ってくれよ」などと言ってきたので、私は「いいよ作っても。作った分は自分でも食べるんだから。でもそっち(兄)も作ってよ」と言った。
自室にて。日中天気は晴れだった。
〈一般事項〉
・仕事:リハウス3担当者分エリア。
〈特記事項〉
・ついに事故が起きた。仕事の帰り、稲城の坂道を走っているとき斜め前を走っていた車が、突然減速もせずに左折を始めたため、私はその車の腹にぶつかり転倒した。コリジョンキャンペーンというより初めから本当のコリジョン(衝突)を意図した工作だったと思われる。運転していた男から名刺を受け取ったところ、トヨタの営業社員だということがわかった。怪我は右膝・左ふくらはぎと左肘の打撲(右膝と左ふくらはぎは内出血がひどい)で、軽傷といったところ。バイクは起動したし、怪我の痛みも少なかったので、警察も呼ばずそこから再び帰途についたが、その道中やたらパトカーとすれ違い始めた。当然警察はこの事故について知っているはずだが、どの程度関与していてどのようなメッセージを込めて出現してきたのかはよくわからない。私が現場で警察を呼ぶというシナリオが想定されていたのに、私が呼ばなかったので肩透かしを食らった思いなのか?関与がなければ単に「事故を見ていたぞ」という仄めかしに過ぎないことになるが。
その帰り道では、遠くから薄っすら聞こえる声で「くさい」と言う通行人や携帯を覗き込む人間が次々と出現した。
【夢】
☆昨夜の深夜~明け方の睡眠時。
⒈《書き始めようとしたらジャストタイミングで救急車のサイレンが鳴り出した》街中の交差点(町田街道の根岸交差点に似ていたが、ディテールは違っていたと思う)の歩道に小泉元首相がいて、怒りをあらわにしながらボールを投げつけ始めた①。確か持っていたボールは三個あって、そのうち二つを立て続けに投げつけたが、そのあと目の前の車道を通過する車があった②ので、それを待ってから最後の一つを投げた。すると角に立っていたマンションの住民たちも、窓を開けて一斉に物を投げ始めた③。そのうち一つの部屋に「ハート引越センターの段ボール」が置いてあるのが窓の外からチラッと見えた。

⒉どこかの学校の構内にいたようだ。上階から降りてきて、教室に一旦戻ってから帰ろうと思っていたようだが、教室ではまだ授業が行われているらしく、前のほうに先生(男性)がいたので入れなかった。そのときふと左側を見ると、青い羽織袴姿でおしろいを顔に塗った歌舞伎風の侍がいて、私に向かって丁寧なおじぎをしたので、私も思わず会釈を返した。しかし彼は人としてはずいぶん小さかったので、何か仕掛けがあるんじゃないかと思って歩きながら見ていると、後ろから棒か線のようなものが出ていてその先を人が持って操作しているのが見えた。ああ操り人形だったのかと思った。
⒊逗子の商店街の中萬学院の脇辺りに居た。その周辺にはいつの間にかロケ班のように大勢の人々が集まっていて、確かバスも停まっていた。その中に兄がいたので、「撮影するの?聞いてないよ」などと言った。その後いったん場面が変わったようで、私が通りの向かい側にある見知らぬ建物の中で休憩していると、外から「次、小坪だって~!」と、私に呼びかけてくる子供の声がした。次のロケ現場ということらしい。私はバイクに乗って小坪に向かって走り出したのだが、目に映っていた町並みから考えると、なぜか完全に逆方向(桜山方面)に向かってしまっていたようだ。その間、次々とリアルな音楽が頭の中で聞こえ始めた。それは80年代風の歌謡曲といった感じのものが多かったが、知っている曲は一つもなかった。私はそれを聞きながら、「ついに起きている時にも堂々と音声送信をしてくるようになったか」と思った(実際には夢の中だったが)。しかし最後のほうに聞こえてきた曲は、はっきり私が歌っている通りに音が鳴っていて、自分で作っているという実感があった。結局橋のたもと(田越橋?)まで来たところでそのシーンは終わり、いつの間にかパープルレイン(昔母がやっていたスナック)の店内のような場所まで引き戻されていた。兄がいて、カレーライスとオムレツの載った小さなプレートを食べながら(トレイにはあと二つ別メニューのプレートが載っていた)、「こういうの作ってくれればいいのに。作ってくれよ」などと言ってきたので、私は「いいよ作っても。作った分は自分でも食べるんだから。でもそっち(兄)も作ってよ」と言った。