2009年12月23日(水)
12:02
今日も自室にて。天気は快晴。
〜中略〜
そのあと寝た。その時見た夢はほとんど覚えていないが、
①教室に入って行くと、A布時代の同級生で学籍番号の近い人たちが番号順に席についてお喋りしていた。試験の合間の一場面という感じだった。そのシーンとどう繋がったのか分からないが、
②そのあと初老の眼鏡をかけた短髪(白髪)の男性と一緒にいる場面になった。私が何か仕事の手伝いに来ているようなシチュエーションだったと思う。「(終わったら)おいしいもんご馳走してあげるから」と言われ、「いえ結構です」と遠慮したが、彼は構わず「そのかわり重い荷物を持ってもらうからね」と言った。
23時近くになってようやく起き上がり、支度して仕事に出かけた(リハウス5担当者分エリア)。今日も携帯を持たずに出た。昨日と同様多少は怪しい車の存在を認めたものの(今日は片目ライトが多めだった)、仕事はスムーズに進んだ。ただ、途中で鼻歌でオフコースの「歩こう」という曲を思い出しながら歌っていたら、フレーズの一部分がどうしても思い出せなくなり、そこからしばらく脳内音声で語りながらフレーズを思い出そうとしていたら、新作エリアに入ったあたりから急に集スト濃度が高まった(パトカーの出現、新聞配達とのジャストのバッティング、ゲロ咳を聞かせてから私の前を往復して歩いて見せる通行人、救急車の出現、そしてパトカーの再度の出現)。もちろん、私の意識の状態と関係なく待ち構えていた可能性もないではないが、私の意識を断ち切ろうとするような目的で集ストの刺激を手配した可能性も考えられる。私はその時、ほんの一部分のフレーズだけを何十分間もの間繰り返し繰り返し、延々と歌っていながら答えが出ずにいたので、私の脳内音声を聞いていた者がいたら相当イライラしていたはずだからである。実際その後、その執着から意識が離れたらおかしな現象は減って平静に復したようだ。
6時ごろに仕事終了後、まっすぐ帰宅。家についてからすぐに朝食(チーズと納豆のトースト)を食って風呂に入った。そのあと布団に横になりのんびりくつろごうとしたが、動悸を引き起こすような加害刺激が送られてきて妨害された。しかしそれと同時に睡魔もやってきて、ふわふわ朦朧とした意識の中で夢の世界に引き込まれた。その時の夢は、生理的不安定感の中、記憶のわずかな断片しか残っていないか、
①全体的なシチュエーションは忘れたが、校舎の裏のような場所で、人が大勢いるようだった。小学校の同級生だったY原君が出てきて、私の横で「昔は加山雄三に似てるって言われてた」と言った。「何それ自分がってこと?」と振り向いて私は言ったが、先日の夢の中で、人づてにY原君が死んだという話を聞いたことをすぐさま思い出し、「あれY原君生きてたの!?」と思わず言った。「生きてるよ」と彼が答えたので、「ああよかった。Y原が死んだっていう話を聞いたからさ」と言うと、「誰が言ってた?」と言うので、《何故か今、不快刺激のスイッチが入ったが…?》「吹越とかいうやつ…じゃなかった吹…」と言って、正確な名前(吹出だった)を思い出そうとしたら、Y原君は「ああ、そいつは、」と言いかけた。と、そこで目が覚めた(というより「カット!」の声がかかって打ち切られたという感じなのだが…)。彼の生死について正しい情報を持っていないので何とも判断しかねるが、やはりこれも故人を登場させる最近の流れにちなんだ送信夢であろう。
②教室のような場所で、昔中学の時に受けた模擬試験の結果が何故か返ってくる(同窓会みたいな設定か?)。私は成績が良かったと周りの皆が言っていたので、見てみると239点だった(250点満点?実際には230点台は取ったことがあるが、239点というのは多分無かったと思う)。
その後も何度かうとうとしたが、骨がギシギシ痛む刺激を繰り返し主に右手に食らっていた(その都度はっきりスイッチの入った瞬間がわかった)ので、しっかりとした眠りに入って行けないまま、ずるずるとお昼近くまで寝ていた。
今日も自室にて。天気は快晴。
〜中略〜
そのあと寝た。その時見た夢はほとんど覚えていないが、
①教室に入って行くと、A布時代の同級生で学籍番号の近い人たちが番号順に席についてお喋りしていた。試験の合間の一場面という感じだった。そのシーンとどう繋がったのか分からないが、
②そのあと初老の眼鏡をかけた短髪(白髪)の男性と一緒にいる場面になった。私が何か仕事の手伝いに来ているようなシチュエーションだったと思う。「(終わったら)おいしいもんご馳走してあげるから」と言われ、「いえ結構です」と遠慮したが、彼は構わず「そのかわり重い荷物を持ってもらうからね」と言った。
23時近くになってようやく起き上がり、支度して仕事に出かけた(リハウス5担当者分エリア)。今日も携帯を持たずに出た。昨日と同様多少は怪しい車の存在を認めたものの(今日は片目ライトが多めだった)、仕事はスムーズに進んだ。ただ、途中で鼻歌でオフコースの「歩こう」という曲を思い出しながら歌っていたら、フレーズの一部分がどうしても思い出せなくなり、そこからしばらく脳内音声で語りながらフレーズを思い出そうとしていたら、新作エリアに入ったあたりから急に集スト濃度が高まった(パトカーの出現、新聞配達とのジャストのバッティング、ゲロ咳を聞かせてから私の前を往復して歩いて見せる通行人、救急車の出現、そしてパトカーの再度の出現)。もちろん、私の意識の状態と関係なく待ち構えていた可能性もないではないが、私の意識を断ち切ろうとするような目的で集ストの刺激を手配した可能性も考えられる。私はその時、ほんの一部分のフレーズだけを何十分間もの間繰り返し繰り返し、延々と歌っていながら答えが出ずにいたので、私の脳内音声を聞いていた者がいたら相当イライラしていたはずだからである。実際その後、その執着から意識が離れたらおかしな現象は減って平静に復したようだ。
6時ごろに仕事終了後、まっすぐ帰宅。家についてからすぐに朝食(チーズと納豆のトースト)を食って風呂に入った。そのあと布団に横になりのんびりくつろごうとしたが、動悸を引き起こすような加害刺激が送られてきて妨害された。しかしそれと同時に睡魔もやってきて、ふわふわ朦朧とした意識の中で夢の世界に引き込まれた。その時の夢は、生理的不安定感の中、記憶のわずかな断片しか残っていないか、
①全体的なシチュエーションは忘れたが、校舎の裏のような場所で、人が大勢いるようだった。小学校の同級生だったY原君が出てきて、私の横で「昔は加山雄三に似てるって言われてた」と言った。「何それ自分がってこと?」と振り向いて私は言ったが、先日の夢の中で、人づてにY原君が死んだという話を聞いたことをすぐさま思い出し、「あれY原君生きてたの!?」と思わず言った。「生きてるよ」と彼が答えたので、「ああよかった。Y原が死んだっていう話を聞いたからさ」と言うと、「誰が言ってた?」と言うので、《何故か今、不快刺激のスイッチが入ったが…?》「吹越とかいうやつ…じゃなかった吹…」と言って、正確な名前(吹出だった)を思い出そうとしたら、Y原君は「ああ、そいつは、」と言いかけた。と、そこで目が覚めた(というより「カット!」の声がかかって打ち切られたという感じなのだが…)。彼の生死について正しい情報を持っていないので何とも判断しかねるが、やはりこれも故人を登場させる最近の流れにちなんだ送信夢であろう。
②教室のような場所で、昔中学の時に受けた模擬試験の結果が何故か返ってくる(同窓会みたいな設定か?)。私は成績が良かったと周りの皆が言っていたので、見てみると239点だった(250点満点?実際には230点台は取ったことがあるが、239点というのは多分無かったと思う)。
その後も何度かうとうとしたが、骨がギシギシ痛む刺激を繰り返し主に右手に食らっていた(その都度はっきりスイッチの入った瞬間がわかった)ので、しっかりとした眠りに入って行けないまま、ずるずるとお昼近くまで寝ていた。