2009年9月30日(水)
17:07
今日引っ越しをしたので、初めて新居でこれを書いている。
まあ想定内だったとはいえ、もう引越し荷物の搬入時から軽い睡魔・勃起攻撃は喰らい始めていた。先程「心の中で」軽く加害者に毒づいたときには耳圧迫も喰らった。つくづく奴らが狡猾だと思ったのは、これらの攻撃がこれまでこの部屋に下見に来ていたときには一切なかったことである。
すでにこれまで外出先の屋外でも室内と同様の攻撃を受けてきたので、遠隔で大抵のことができ、室内で被害を感じるからといって隣室や階下の住人の仕業であるとは限らないということは重々承知であるが、物音反応や人的工作が感じられる場合には当然住人も疑わざるをえなくなるだろう(その場合も視聴覚・思考モニターを持っているだけなのか、そいつが傷害ツールのスイッチを任されているのか、どちらか見極めなくてはならない)。
一昨日からの続きを書くが、書ききれないので簡略を心がけて記すことにする。
まず一昨日の公園での場面の追記。私が日記を書き終えたときに、まだ一組だけ残って、暗いなか鉄棒の逆上がりの練習を延々と続けている男の子とその母親がいた。他の親子連れは全員潮が引いたように一斉に撤収したのに、その流れに乗らずに依然として遊び続けているのでこの親子だけはあの集団とは別にやってきたイノセントな親子なのかもしれないと思った。「あと10分間このまま遊び続けるようだったら彼らはシロだな…」と心の中で独りごちながら私はベンチを立ち、帰ろうとしてバイクの所へ歩いて行った。すると突如として母親が鉄棒のところに駆け寄り、子供の尻を押して加勢したかと思うと、子供は「できた!できた!」と大げさに叫び、できたからもうおしまい、とばかりにさっさと公園から帰ろうとするではないか。
要するにこの親子も実は先程の集団のメンバーで、先に帰った他の連中を代表して私が帰るまでそこに張り付く役割を担っていたが、私が帰ろうとしたのでもうその公園にいる理由がなくなり、このような不自然な切り上げ方をしたに相違ないのである。私がこの一件の中で特に注目したのは、母親が咄嗟に子供の逆上がりを手伝って切り上げる口実にしようとした時、男の子が私にアピールするような演技的な大声で「できた!できた!」と叫んだことである(もちろん実際には「できて」などいないのだが)。つまりこの子は何のために自分がここに長居しているのかを十分に知っており、かつその中で咄嗟に自分のすべきことを見つけて動いているのである。よく子供は親にやらされているだけだといわれるが、決してそうでは無く、今回のようにいっぱしの工作員として小さい頃から訓練を積んでいるような末恐ろしいケースも多いのである。ちなみにこの子は逆上がりの練習を始める前に、私に向かって演者が観客にするようなお辞儀をして見せたりしていたので、私に見られるということが何か特別な意味を持つということも意識していたようだった。
その後、帰宅。ワインを飲んで寝た。その時見た夢は覚えていない。目が覚めたあと風呂に入り、支度をして仕事に出かけた(土橋2~4・宮前平・土橋1・宮崎台)。「チャイム!」を聞いてみたら月曜担当のあさみん(良田麻美)が喉の不調で声が出ないらしく、代わりにバナミン(立花優美)がやっていた。
行きの道中では例の青葉署前の通りで、なぜか目の前の2台の(全然別の会社の)トラックのナンバーがどちらも「429」で、並んで信号待ち。さらにそのあとすぐ二人乗りで私を追い抜いていったバイクも「4296」だった。時刻は午前2時半くらいなので、場所も場所だし当然私の周りには彼らしかいなかった。これが偶然ということはまずあり得ないと思われるが、ナンバー自体に何か意味があったのかは、よく分からない(死肉?)。ちなみにそのあと青葉署前の交差点を曲がって246に乗ると、側道脇の空き地からライトを煌々と照らしたパトカーが頭をヌッとこちらに突き出していた。
仕事終了後、今日はまっすぐ帰らずそのままピザチラシの現場へ向かった(珍しく仕事が押している状態なので)。途中上麻生のすき家のドライブスルーで朝食として牛丼弁当を買った後、これをどこで食べようかと思案しながら走っているうちに、ずるずると鶴川の先まで来てしまい、結局ここでいいやと牛角の店の裏にバイクを止めて食べた。食べ終わると、その直後にゴミ回収車がやって来て《この話題に入るや否や隣室503のドアの開閉音がした。って書いてたら耳圧迫が来た。物音もあり。やはりこの新居でも隣は加害者か?》バックでわざとらしく私のバイクすれすれ(ほんの何ミリという隙間)に止めてみせた。私はこの時点で集ストだろうと思ったが、それは抑えて、ちょうど今食べたばかりの牛丼の箱が入ったビニール袋を「それじゃこれもお願いしまーす」と言いながら収集車の中に放り込んだ。すると回収作業をしていたオヤジが、「こっちは商売でやってんだよ」と言いながら私の入れたビニール袋を車から放り出した。そこで私は怒りを爆発させ、「お前集ストだろ?集団ストーカーだろ?いい年してみっともねえな!」などとまくしたて、その場を去った。
ピザチラシの現場(若松)に朝 8時ごろ着いて仕事を始めた。仕事終了後、まっすぐ帰宅。昼飯を食って台所前でごろごろしている時に睡魔攻撃でうたた寝。その時見た夢はよく覚えていないが、
最後の方で見知らぬ女性と対面しており、その女性から「今日は独身男性の男らしさを堪能させていただきました…まだ年齢的にもこれから《今16号線から特徴的なサイレン音がうるさく聞こえてきた》だと思いますので…」云々という言葉を受けた。私の記憶ではその夢はその場限りの短い夢で、前段となるような場面に覚えはなかったのだが、一応状況設定としては「婚活」アドバイザーの女性と一日模擬デートみたいなことをしてみて、その講評を頂いた場面といったところか。
その後「不幸のブログ」を読んでいたら玄関のチャイムが鳴って、引っ越し会社が荷造り用段ボールを届けに来た。早速、荷造り開始。それまで手持ちの段ボールに詰め込んであった荷物を、きちんと荷造り用の段ボールに詰め直した。夕方までかかってその作業が一段落した後、ワインを飲んで台所前でゴロゴロし、寝た。その時見た夢は《今16号線から街宣車の鳴らす「行け行け飛雄馬」が聞こえてきた》《今サイレンが聞こえてきた》、ほとんど覚えていないが、確か志村けんが出てきたような覚えがある*。目が覚めると《今また「行け行け飛雄馬」が聞こえてきたのだが、どうやら私のマンションの前あたりでいきなりボリュームを上げてくるようだ。先ほどもそうだった》眼球に疲れたような鈍い痛みが残っていた。
*2016年10月8日追記:今読み返してみると、この「志村けんのでてきた夢」の内容に反応して、外の通りでノイズキャンペーンが始まったように取れるが、この夢に関しては記述した時点で本当にほとんど覚えていなかったと思う。現時点では全く覚えていない。
風呂に入り、支度をして仕事に出かけた(高津区・中原区。リハウスの新しく入った仕事)。今日の仕事は散々だった。初めてのエリアでただでさえ時間がかかる上に、道の間違いなどのミスも多く、時間を大幅にロスした。さらに《今救急車のサイレン》雨がずっと降っており、携行していた地図や報告書が雨に濡れてボロボロになってしまった。結局0時半ごろから朝の8時ごろまでかかって2,300枚余りしか配れなかった。さらにマンションでかちあった新聞配達の奴が会うたび鼻を鳴らしてきた上に立ち去り際に「臭すぎる」という言葉を残していったことも、陰惨な気分に陥るのを手伝った。
仕事終了後まっすぐ帰宅。自室に着いてまず先に朝食を食い、ずぶ濡れになっていたので風呂に入った。そのあと作業報告書を送ろうと思ったが、雨に濡れてボロボロになってしまっていたので、他の紙に書き写すことにした。しかし、もう原本は二枚折り部分がピッタリ張り付いてしまっていて、剥がそうとするたびに破れてしまう状態になっていた。きちんと読み取ることさえ満足にできず、地図などを持ち出して来て必死の解読作業をしなくてはならなくなった。それが終わったときにはすでに11時10分で、引越し会社は11時から13時の間に来るということになっていたので大いに焦り、大急ぎで荷造りの最後の仕上げ作業を始めた。心理的に本当に大慌てに慌てていて、かえって能率の悪いことになっていたのだが、このとき明らかに人為的な生理操作でその焦燥感が増幅されていたように感じる。結局てんやわんやの末、その作業が12時半くらいに終わったあと、粗大ゴミに出す布団の上で一休みしていると、今度は強い睡魔刺激が襲ってきて、先程までの緊迫感が嘘のように、ぼんやりと眠くなってきた。「心の中で」この刺激が勃起刺激と共通していることを指摘していると、じきに刺激が下腹部に移行して、繰り返し繰り返し勃起刺激が加えられた。一度尿道の中を刺激が通り抜けるような感覚が走り、その際カウパーを漏出させられたと思う。
~中略~
引越し屋は13時を過ぎても現れなかったので、普段の私ならもっと焦れて緊張感が高まるところだったが、電磁波による操作で異様にまったりとした状態のまま過ごした。結局引越し屋は十数分遅れくらいでやってきて、引越し作業を始めた。トラックへの荷積み作業が終わった後、私は一人で手荷物分だけを持ってバイクで新居に向かった。そのあと新居で引越し屋による荷物の搬入作業を見届け、引越し屋が帰った後、チラシの搬入作業をし、バイクで小雨降る中相模原のダイエーに買い物に行った。帰ってきて必要最低限の荷解きをした後、日記を書き始めて現在に至る。
今日引っ越しをしたので、初めて新居でこれを書いている。
まあ想定内だったとはいえ、もう引越し荷物の搬入時から軽い睡魔・勃起攻撃は喰らい始めていた。先程「心の中で」軽く加害者に毒づいたときには耳圧迫も喰らった。つくづく奴らが狡猾だと思ったのは、これらの攻撃がこれまでこの部屋に下見に来ていたときには一切なかったことである。
すでにこれまで外出先の屋外でも室内と同様の攻撃を受けてきたので、遠隔で大抵のことができ、室内で被害を感じるからといって隣室や階下の住人の仕業であるとは限らないということは重々承知であるが、物音反応や人的工作が感じられる場合には当然住人も疑わざるをえなくなるだろう(その場合も視聴覚・思考モニターを持っているだけなのか、そいつが傷害ツールのスイッチを任されているのか、どちらか見極めなくてはならない)。
一昨日からの続きを書くが、書ききれないので簡略を心がけて記すことにする。
まず一昨日の公園での場面の追記。私が日記を書き終えたときに、まだ一組だけ残って、暗いなか鉄棒の逆上がりの練習を延々と続けている男の子とその母親がいた。他の親子連れは全員潮が引いたように一斉に撤収したのに、その流れに乗らずに依然として遊び続けているのでこの親子だけはあの集団とは別にやってきたイノセントな親子なのかもしれないと思った。「あと10分間このまま遊び続けるようだったら彼らはシロだな…」と心の中で独りごちながら私はベンチを立ち、帰ろうとしてバイクの所へ歩いて行った。すると突如として母親が鉄棒のところに駆け寄り、子供の尻を押して加勢したかと思うと、子供は「できた!できた!」と大げさに叫び、できたからもうおしまい、とばかりにさっさと公園から帰ろうとするではないか。
要するにこの親子も実は先程の集団のメンバーで、先に帰った他の連中を代表して私が帰るまでそこに張り付く役割を担っていたが、私が帰ろうとしたのでもうその公園にいる理由がなくなり、このような不自然な切り上げ方をしたに相違ないのである。私がこの一件の中で特に注目したのは、母親が咄嗟に子供の逆上がりを手伝って切り上げる口実にしようとした時、男の子が私にアピールするような演技的な大声で「できた!できた!」と叫んだことである(もちろん実際には「できて」などいないのだが)。つまりこの子は何のために自分がここに長居しているのかを十分に知っており、かつその中で咄嗟に自分のすべきことを見つけて動いているのである。よく子供は親にやらされているだけだといわれるが、決してそうでは無く、今回のようにいっぱしの工作員として小さい頃から訓練を積んでいるような末恐ろしいケースも多いのである。ちなみにこの子は逆上がりの練習を始める前に、私に向かって演者が観客にするようなお辞儀をして見せたりしていたので、私に見られるということが何か特別な意味を持つということも意識していたようだった。
その後、帰宅。ワインを飲んで寝た。その時見た夢は覚えていない。目が覚めたあと風呂に入り、支度をして仕事に出かけた(土橋2~4・宮前平・土橋1・宮崎台)。「チャイム!」を聞いてみたら月曜担当のあさみん(良田麻美)が喉の不調で声が出ないらしく、代わりにバナミン(立花優美)がやっていた。
行きの道中では例の青葉署前の通りで、なぜか目の前の2台の(全然別の会社の)トラックのナンバーがどちらも「429」で、並んで信号待ち。さらにそのあとすぐ二人乗りで私を追い抜いていったバイクも「4296」だった。時刻は午前2時半くらいなので、場所も場所だし当然私の周りには彼らしかいなかった。これが偶然ということはまずあり得ないと思われるが、ナンバー自体に何か意味があったのかは、よく分からない(死肉?)。ちなみにそのあと青葉署前の交差点を曲がって246に乗ると、側道脇の空き地からライトを煌々と照らしたパトカーが頭をヌッとこちらに突き出していた。
仕事終了後、今日はまっすぐ帰らずそのままピザチラシの現場へ向かった(珍しく仕事が押している状態なので)。途中上麻生のすき家のドライブスルーで朝食として牛丼弁当を買った後、これをどこで食べようかと思案しながら走っているうちに、ずるずると鶴川の先まで来てしまい、結局ここでいいやと牛角の店の裏にバイクを止めて食べた。食べ終わると、その直後にゴミ回収車がやって来て《この話題に入るや否や隣室503のドアの開閉音がした。って書いてたら耳圧迫が来た。物音もあり。やはりこの新居でも隣は加害者か?》バックでわざとらしく私のバイクすれすれ(ほんの何ミリという隙間)に止めてみせた。私はこの時点で集ストだろうと思ったが、それは抑えて、ちょうど今食べたばかりの牛丼の箱が入ったビニール袋を「それじゃこれもお願いしまーす」と言いながら収集車の中に放り込んだ。すると回収作業をしていたオヤジが、「こっちは商売でやってんだよ」と言いながら私の入れたビニール袋を車から放り出した。そこで私は怒りを爆発させ、「お前集ストだろ?集団ストーカーだろ?いい年してみっともねえな!」などとまくしたて、その場を去った。
ピザチラシの現場(若松)に朝 8時ごろ着いて仕事を始めた。仕事終了後、まっすぐ帰宅。昼飯を食って台所前でごろごろしている時に睡魔攻撃でうたた寝。その時見た夢はよく覚えていないが、
最後の方で見知らぬ女性と対面しており、その女性から「今日は独身男性の男らしさを堪能させていただきました…まだ年齢的にもこれから《今16号線から特徴的なサイレン音がうるさく聞こえてきた》だと思いますので…」云々という言葉を受けた。私の記憶ではその夢はその場限りの短い夢で、前段となるような場面に覚えはなかったのだが、一応状況設定としては「婚活」アドバイザーの女性と一日模擬デートみたいなことをしてみて、その講評を頂いた場面といったところか。
その後「不幸のブログ」を読んでいたら玄関のチャイムが鳴って、引っ越し会社が荷造り用段ボールを届けに来た。早速、荷造り開始。それまで手持ちの段ボールに詰め込んであった荷物を、きちんと荷造り用の段ボールに詰め直した。夕方までかかってその作業が一段落した後、ワインを飲んで台所前でゴロゴロし、寝た。その時見た夢は《今16号線から街宣車の鳴らす「行け行け飛雄馬」が聞こえてきた》《今サイレンが聞こえてきた》、ほとんど覚えていないが、確か志村けんが出てきたような覚えがある*。目が覚めると《今また「行け行け飛雄馬」が聞こえてきたのだが、どうやら私のマンションの前あたりでいきなりボリュームを上げてくるようだ。先ほどもそうだった》眼球に疲れたような鈍い痛みが残っていた。
*2016年10月8日追記:今読み返してみると、この「志村けんのでてきた夢」の内容に反応して、外の通りでノイズキャンペーンが始まったように取れるが、この夢に関しては記述した時点で本当にほとんど覚えていなかったと思う。現時点では全く覚えていない。
風呂に入り、支度をして仕事に出かけた(高津区・中原区。リハウスの新しく入った仕事)。今日の仕事は散々だった。初めてのエリアでただでさえ時間がかかる上に、道の間違いなどのミスも多く、時間を大幅にロスした。さらに《今救急車のサイレン》雨がずっと降っており、携行していた地図や報告書が雨に濡れてボロボロになってしまった。結局0時半ごろから朝の8時ごろまでかかって2,300枚余りしか配れなかった。さらにマンションでかちあった新聞配達の奴が会うたび鼻を鳴らしてきた上に立ち去り際に「臭すぎる」という言葉を残していったことも、陰惨な気分に陥るのを手伝った。
仕事終了後まっすぐ帰宅。自室に着いてまず先に朝食を食い、ずぶ濡れになっていたので風呂に入った。そのあと作業報告書を送ろうと思ったが、雨に濡れてボロボロになってしまっていたので、他の紙に書き写すことにした。しかし、もう原本は二枚折り部分がピッタリ張り付いてしまっていて、剥がそうとするたびに破れてしまう状態になっていた。きちんと読み取ることさえ満足にできず、地図などを持ち出して来て必死の解読作業をしなくてはならなくなった。それが終わったときにはすでに11時10分で、引越し会社は11時から13時の間に来るということになっていたので大いに焦り、大急ぎで荷造りの最後の仕上げ作業を始めた。心理的に本当に大慌てに慌てていて、かえって能率の悪いことになっていたのだが、このとき明らかに人為的な生理操作でその焦燥感が増幅されていたように感じる。結局てんやわんやの末、その作業が12時半くらいに終わったあと、粗大ゴミに出す布団の上で一休みしていると、今度は強い睡魔刺激が襲ってきて、先程までの緊迫感が嘘のように、ぼんやりと眠くなってきた。「心の中で」この刺激が勃起刺激と共通していることを指摘していると、じきに刺激が下腹部に移行して、繰り返し繰り返し勃起刺激が加えられた。一度尿道の中を刺激が通り抜けるような感覚が走り、その際カウパーを漏出させられたと思う。
~中略~
引越し屋は13時を過ぎても現れなかったので、普段の私ならもっと焦れて緊張感が高まるところだったが、電磁波による操作で異様にまったりとした状態のまま過ごした。結局引越し屋は十数分遅れくらいでやってきて、引越し作業を始めた。トラックへの荷積み作業が終わった後、私は一人で手荷物分だけを持ってバイクで新居に向かった。そのあと新居で引越し屋による荷物の搬入作業を見届け、引越し屋が帰った後、チラシの搬入作業をし、バイクで小雨降る中相模原のダイエーに買い物に行った。帰ってきて必要最低限の荷解きをした後、日記を書き始めて現在に至る。