FC2ブログ

2009年9月26日(土)

16:05
今日も自室から(天気はいいのに…)。

~中略~

今朝見た夢では、非常に短いシーンが沢山現れたが、そのうち覚えているのは、

①柴田理恵が感情的に何かを主張している。私はその内容をその時点できちんと《今、ハート引越センターから電話があって、値引きして2万円でやってくれるとの話だった》理解できていたのかどうか怪しいのだが、口からはすらすらとそれに対する反論のような言葉が出た。曰く、「それはみんなが思っていることだから。国民みんながそう感じている。《今、会社から電話あり》でもその方針を、…」推し進めたのは公明党、と言おうとしたところで目が覚めた。
②街角で外人(黒人)が向こうからやってきて私に話しかける。英語でさかんに何か訊いてきているようなのだが、何を言ってるのかよくわからない。私が歩いてきた道の道中にイベントホールみたいなものがあったように思ったので、そこへ行きたいのかと勝手に考えて「The hall is already full」と言ってみたが相手はどうやら私の話もろくすっぽ聞いていない様子で、相変わらずペラペラまくし立てている。単に英語のシャワーを浴びせて私を困惑させようとしているだけかも知れないと思ったので、会話を打ち切ろうとして「No problem... If you think so」と言ってみた。夢の中で思考力が鈍っていたので、適切な言葉かどうかを吟味することなくスラスラとこんな言葉が出た。何が何やらわからないまま目が覚めた。
③ (今思い出したのだが、これが順番的には最初に見た夢)ロッカールームのような場所にいて、4コマ漫画を描こうとしている。私はその時点ではその漫画のオチまで全て考えているようなつもりをしていた。1コマ目に擬人化した猫のアップを描いたあと、その猫のセリフを一旦口に出して言い、余白に書き込もうとした。アイデアはすでに頭の中に出来上がっていたので、そのセリフを書き込む作業さえもじれったく感じていて、早く2コマ目の役所広司の顔に取りかかりたいと思っていた。するとそこにT彦だか誰だか、昔の知り合いらしき人物がドアを開けて入ってきたようだった。なぜだか彼がこのマンガのオチを既に知っているかもしれないと思って少々意気阻喪するのを感じた。

結局1コマ目を描いただけで目が覚めてしまったのだが、その後でその漫画のアイディア全体を思い出そうとしたところ、あれだけ夢の中では明確に構想していたはずのアイデアが何一つ思い出せなかった(2コマ目の役所広司も全く意味不明)。

2009年9月28日(月)


15:21
今、相模大野近くの小さな公園にいる。

丸一日分飛ばしてしまった。ちょっと珍しく忙しくしていたわけだが、忙しいと書くべきことが増える一方それを書くための時間が減るので、ますます書けなくなってしまう。今も実はあまり時間がないので、手短に書く。

一昨日はあの後、ワインを飲んで寝た。その時に見た夢は、

洪水か何かで道がプールのようになってしまっている中、大勢の牛たちが必死に泳いでいる。道の右端になんとか泳ぎ着くと、そこには救助隊(私もその一人?)が待っていた。消防車のホースのようなものでその牛たちに勢いよく水をかけると、牛たちは元気を取り戻した。

目が覚めた後、支度して仕事に出かけた(溝口・高津3担当者分)。仕事終了後まっすぐ帰宅。朝食食ったあと台所前でブログチェックしていると、例によって睡魔攻撃を喰らった。その時見た夢は浅く短い夢のオムニバスだったが、そのうち覚えているものを列挙すると、

①美空ひばりのような女性歌手の声で、和風の歌が聞こえてくる。歌の旋律をなぞるようにピアノの単音メロディーが聞こえていたようだが、これは歌いやすくするためのガイドメロか。歌詞の最後の部分は「嬉しい、悲しい、楽しい、恋ごころ」というものだったと思う(今、平井堅の曲に似たような歌詞の曲があるが、それとは完全に別の曲)。
②実際のシチュエーションそっくりに、台所前で寝そべっている夢で、ドアの向こうでガヤガヤと騒ぎが起こっている。どうやら郵便か宅配便が隣の部屋に来て、不在なので配達員が私に預かってもらおうとしているのだが、その周りに集スト要員らしき若者たちが集まってきて、それを止めようとしているといった状況。「もう、すっごく気まずいんで!」などと集ストの一人がひときわ大きな声で言っているのが聞こえた(もちろん確実に夢であり、寝ぼけている間に実際に起こった出来事などということはありえない。隣の荷物を預かってほしいなどという話はここに10年住んでいて一度もないし、時刻も朝の7時ごろである)。
③省略。
④省略。

目が覚めた後、ぼーっとしているとリサイクル業者の男性がやってきた。最近引越しの準備をしている私に、妙に良いタイミングで不用品処分&引越しのチラシが入っていたのでそこに電話をかけ、見積もりをしてもらうことになっていたのである。しかし彼を部屋に上げ、話を聞いてみると不用品処分の料金も引っ越しの料金も異様に高いことが分かった。これはだめっぽいな、と思いながら会話をしていると、彼から「かづきさん」と突然呼ばれたので少しぎょっとした。私はこの担当者と自分の名前を確認し合うことはなく、電話受付の女性にも口頭で「かげつ」としか伝えていなかったからである。漢字で書かれた私の名前を読み間違えるとこういう読み方になる可能性はあるが、口頭で伝えた場合にこの間違いがおこる余地はない。初対面の人間から「かづきさん」または「かつきさん」と呼び間違えられるというのは私にとってA布時代から地味に続いているアンカリングの一つなので、「ああ彼はこれを言いに今日来たんだろうな」と合点した。最初のチラシも含めてワンセットの工作である。彼の方としてはもちろん仕事も取れればそれに越した事は無いのだろうが、これだけでもそれなりの見返りはあるのだろう。結局、PCの廃棄にはどこに出してもやたら費用がかかるということで、全く無用の長物となっていたwin 98の入ったPCを1000円で引き取ってもらったのみで終わった。

その場合でも重箱読みになるので無理のある読み方となる。私の苗字は「荷月」と書いて「かげつ」と読むのだが、なんばかげつの「花月」に字面が似ているため、元々あまり読み間違えられずに済んでいた。仮に間違えられても「にづき」と読まれるパターンがほとんどで、「かづき」「かつき」などと読まれることは滅多に無かったのである。
A布時代に最初に入った研究室の教授が、(恐らく意図的に)繰り返しこのような読み間違いをしてきたのだが、加害者達はそれをアンカリングのネタとして取っておいたらしく、A布を卒業した後になってから出会う人達が皆こぞってこの読み方をしてくるようになった。

そのあと昼飯を食い風呂に入って仕事に出かけた(鷺沼・小台・有馬1・2)。引っ越しの準備で忙しいところへ新規の仕事の増量が重なってしまったので、昼も仕事ということになったわけである。昼間だとやはり怪しげな動きをする人間の出現は多かったが、いちいち書くのは面倒臭いので割愛する。一つ印象深かったのは、クレッ○ントたまプラーザ(交通事故死体を道中見た日に931全部入りナンバーが乗りつけ聖教新聞を置いていったマンション)のエントランスに一時も耐えられないほどの強烈な便臭が立ち込めていたことだ。臭いの源の姿はなく、おそらく宅配ロッカーの中に忍ばせてあったものと思われる。

仕事終了後、まっすぐ帰宅。作業報告書を送って、ワインを飲んで寝た。その時見た夢は、

最後の場面で電車に乗るシーンになった。ホームで待っている最中に、故H間さんのイメージと被るような、ちょっと図々しい感じの若い男が少し離れたところにいて、好きな女の子に携帯で電話だかメールだかをしながら、その状況を周囲にアピールしていた。どうやら彼はこれから「告る」つもりらしい。直に電車がやってきて、それに乗り込み、目的駅に着いたあたりで男の携帯が鳴った。その女の子からかかってきたらしい。私も他人事ながら彼の告白がうまくいくのかどうか知りたく思い、ホームに降りて耳をそばだてたのだが、その結果を聞く前に目が覚めてしまった。

目が覚めた後、体を動かした途端に吐き気が発生し、気分が悪かった。Tシャツを着たまま軽くシャワーを浴び、支度をして仕事に出かけた(溝ノ口・高津3担当者分+共通物件)。仕事終了後まっすぐ帰宅、一般ゴミのゴミ出し作業をしたあと会社に新居の地図を送信し、風呂に入ってから出かけた。まず市役所に行って住民票の写しを取り、契約書を作るためにスカイコート賃貸センターのある横浜に向かった。横浜駅近くの中華料理屋でラーメンを食ってから、スカイコートに行って手続きを済ませた後、16号線を通っての帰路の途中、マンションの谷間にあるこの公園に立ち寄って日記を書き始めた。本当はこの後ピザチラシの仕事をしてから帰るつもりだったのだが、案の定日記に時間を取られてもう17時40分位になってしまった。

それにしても今日のように初めての場所に腰を下ろすと、必ず周りに人が集まってきて騒々しくなる。今日は腰を落ち着けた直後に業者らしい車が乗り付けてきて、私の座っているベンチのすぐ後ろにある植え込みに何かしら噴霧する作業を突然やり始めた。そのとき風が本当に強かったので、近くにいた作業員に「大丈夫?風で飛んできたりしない?」と言ったら「大丈夫です」と言っていたが、結局申し訳程度の作業しかせず、私の後ろの部分は飛ばしていったようだ。本当に「大丈夫」だったのだろうか?もし私が黙っていたら、私の真後ろで平気な顔をして作業し、私に薬剤が降りかかるという事態になっていたのではなかろうか?と訝しんだ。あとついさっきまで、もはや周囲は真っ暗なのにもかかわらず、大勢の親子連れがこの小さな公園に集まって騒いでいた。どう見ても不自然な賑わい方で、何かイベントでもやっているのだろうか?と疑われるほどであった。しかし私が今そのことを書こうとし始めるや否や、彼らはタイミング良く一斉に帰っていった。

2009年9月30日(水)

17:07
今日引っ越しをしたので、初めて新居でこれを書いている。

まあ想定内だったとはいえ、もう引越し荷物の搬入時から軽い睡魔・勃起攻撃は喰らい始めていた。先程「心の中で」軽く加害者に毒づいたときには耳圧迫も喰らった。つくづく奴らが狡猾だと思ったのは、これらの攻撃がこれまでこの部屋に下見に来ていたときには一切なかったことである。
すでにこれまで外出先の屋外でも室内と同様の攻撃を受けてきたので、遠隔で大抵のことができ、室内で被害を感じるからといって隣室や階下の住人の仕業であるとは限らないということは重々承知であるが、物音反応や人的工作が感じられる場合には当然住人も疑わざるをえなくなるだろう(その場合も視聴覚・思考モニターを持っているだけなのか、そいつが傷害ツールのスイッチを任されているのか、どちらか見極めなくてはならない)。

一昨日からの続きを書くが、書ききれないので簡略を心がけて記すことにする。

まず一昨日の公園での場面の追記。私が日記を書き終えたときに、まだ一組だけ残って、暗いなか鉄棒の逆上がりの練習を延々と続けている男の子とその母親がいた。他の親子連れは全員潮が引いたように一斉に撤収したのに、その流れに乗らずに依然として遊び続けているのでこの親子だけはあの集団とは別にやってきたイノセントな親子なのかもしれないと思った。「あと10分間このまま遊び続けるようだったら彼らはシロだな…」と心の中で独りごちながら私はベンチを立ち、帰ろうとしてバイクの所へ歩いて行った。すると突如として母親が鉄棒のところに駆け寄り、子供の尻を押して加勢したかと思うと、子供は「できた!できた!」と大げさに叫び、できたからもうおしまい、とばかりにさっさと公園から帰ろうとするではないか。
要するにこの親子も実は先程の集団のメンバーで、先に帰った他の連中を代表して私が帰るまでそこに張り付く役割を担っていたが、私が帰ろうとしたのでもうその公園にいる理由がなくなり、このような不自然な切り上げ方をしたに相違ないのである。私がこの一件の中で特に注目したのは、母親が咄嗟に子供の逆上がりを手伝って切り上げる口実にしようとした時、男の子が私にアピールするような演技的な大声で「できた!できた!」と叫んだことである(もちろん実際には「できて」などいないのだが)。つまりこの子は何のために自分がここに長居しているのかを十分に知っており、かつその中で咄嗟に自分のすべきことを見つけて動いているのである。よく子供は親にやらされているだけだといわれるが、決してそうでは無く、今回のようにいっぱしの工作員として小さい頃から訓練を積んでいるような末恐ろしいケースも多いのである。ちなみにこの子は逆上がりの練習を始める前に、私に向かって演者が観客にするようなお辞儀をして見せたりしていたので、私に見られるということが何か特別な意味を持つということも意識していたようだった。

その後、帰宅。ワインを飲んで寝た。その時見た夢は覚えていない。目が覚めたあと風呂に入り、支度をして仕事に出かけた(土橋2~4・宮前平・土橋1・宮崎台)。「チャイム!」を聞いてみたら月曜担当のあさみん(良田麻美)が喉の不調で声が出ないらしく、代わりにバナミン(立花優美)がやっていた。

行きの道中では例の青葉署前の通りで、なぜか目の前の2台の(全然別の会社の)トラックのナンバーがどちらも「429」で、並んで信号待ち。さらにそのあとすぐ二人乗りで私を追い抜いていったバイクも「4296」だった。時刻は午前2時半くらいなので、場所も場所だし当然私の周りには彼らしかいなかった。これが偶然ということはまずあり得ないと思われるが、ナンバー自体に何か意味があったのかは、よく分からない(死肉?)。ちなみにそのあと青葉署前の交差点を曲がって246に乗ると、側道脇の空き地からライトを煌々と照らしたパトカーが頭をヌッとこちらに突き出していた。

仕事終了後、今日はまっすぐ帰らずそのままピザチラシの現場へ向かった(珍しく仕事が押している状態なので)。途中上麻生のすき家のドライブスルーで朝食として牛丼弁当を買った後、これをどこで食べようかと思案しながら走っているうちに、ずるずると鶴川の先まで来てしまい、結局ここでいいやと牛角の店の裏にバイクを止めて食べた。食べ終わると、その直後にゴミ回収車がやって来て《この話題に入るや否や隣室503のドアの開閉音がした。って書いてたら耳圧迫が来た。物音もあり。やはりこの新居でも隣は加害者か?》バックでわざとらしく私のバイクすれすれ(ほんの何ミリという隙間)に止めてみせた。私はこの時点で集ストだろうと思ったが、それは抑えて、ちょうど今食べたばかりの牛丼の箱が入ったビニール袋を「それじゃこれもお願いしまーす」と言いながら収集車の中に放り込んだ。すると回収作業をしていたオヤジが、「こっちは商売でやってんだよ」と言いながら私の入れたビニール袋を車から放り出した。そこで私は怒りを爆発させ、「お前集ストだろ?集団ストーカーだろ?いい年してみっともねえな!」などとまくしたて、その場を去った。

ピザチラシの現場(若松)に朝 8時ごろ着いて仕事を始めた。仕事終了後、まっすぐ帰宅。昼飯を食って台所前でごろごろしている時に睡魔攻撃でうたた寝。その時見た夢はよく覚えていないが、

最後の方で見知らぬ女性と対面しており、その女性から「今日は独身男性の男らしさを堪能させていただきました…まだ年齢的にもこれから《今16号線から特徴的なサイレン音がうるさく聞こえてきた》だと思いますので…」云々という言葉を受けた。私の記憶ではその夢はその場限りの短い夢で、前段となるような場面に覚えはなかったのだが、一応状況設定としては「婚活」アドバイザーの女性と一日模擬デートみたいなことをしてみて、その講評を頂いた場面といったところか。

その後「不幸のブログ」を読んでいたら玄関のチャイムが鳴って、引っ越し会社が荷造り用段ボールを届けに来た。早速、荷造り開始。それまで手持ちの段ボールに詰め込んであった荷物を、きちんと荷造り用の段ボールに詰め直した。夕方までかかってその作業が一段落した後、ワインを飲んで台所前でゴロゴロし、寝た。その時見た夢は《今16号線から街宣車の鳴らす「行け行け飛雄馬」が聞こえてきた》《今サイレンが聞こえてきた》、ほとんど覚えていないが、確か志村けんが出てきたような覚えがある。目が覚めると《今また「行け行け飛雄馬」が聞こえてきたのだが、どうやら私のマンションの前あたりでいきなりボリュームを上げてくるようだ。先ほどもそうだった》眼球に疲れたような鈍い痛みが残っていた。

2016年10月8日追記:今読み返してみると、この「志村けんのでてきた夢」の内容に反応して、外の通りでノイズキャンペーンが始まったように取れるが、この夢に関しては記述した時点で本当にほとんど覚えていなかったと思う。現時点では全く覚えていない。

風呂に入り、支度をして仕事に出かけた(高津区・中原区。リハウスの新しく入った仕事)。今日の仕事は散々だった。初めてのエリアでただでさえ時間がかかる上に、道の間違いなどのミスも多く、時間を大幅にロスした。さらに《今救急車のサイレン》雨がずっと降っており、携行していた地図や報告書が雨に濡れてボロボロになってしまった。結局0時半ごろから朝の8時ごろまでかかって2,300枚余りしか配れなかった。さらにマンションでかちあった新聞配達の奴が会うたび鼻を鳴らしてきた上に立ち去り際に「臭すぎる」という言葉を残していったことも、陰惨な気分に陥るのを手伝った。

仕事終了後まっすぐ帰宅。自室に着いてまず先に朝食を食い、ずぶ濡れになっていたので風呂に入った。そのあと作業報告書を送ろうと思ったが、雨に濡れてボロボロになってしまっていたので、他の紙に書き写すことにした。しかし、もう原本は二枚折り部分がピッタリ張り付いてしまっていて、剥がそうとするたびに破れてしまう状態になっていた。きちんと読み取ることさえ満足にできず、地図などを持ち出して来て必死の解読作業をしなくてはならなくなった。それが終わったときにはすでに11時10分で、引越し会社は11時から13時の間に来るということになっていたので大いに焦り、大急ぎで荷造りの最後の仕上げ作業を始めた。心理的に本当に大慌てに慌てていて、かえって能率の悪いことになっていたのだが、このとき明らかに人為的な生理操作でその焦燥感が増幅されていたように感じる。結局てんやわんやの末、その作業が12時半くらいに終わったあと、粗大ゴミに出す布団の上で一休みしていると、今度は強い睡魔刺激が襲ってきて、先程までの緊迫感が嘘のように、ぼんやりと眠くなってきた。「心の中で」この刺激が勃起刺激と共通していることを指摘していると、じきに刺激が下腹部に移行して、繰り返し繰り返し勃起刺激が加えられた。一度尿道の中を刺激が通り抜けるような感覚が走り、その際カウパーを漏出させられたと思う。

~中略~

引越し屋は13時を過ぎても現れなかったので、普段の私ならもっと焦れて緊張感が高まるところだったが、電磁波による操作で異様にまったりとした状態のまま過ごした。結局引越し屋は十数分遅れくらいでやってきて、引越し作業を始めた。トラックへの荷積み作業が終わった後、私は一人で手荷物分だけを持ってバイクで新居に向かった。そのあと新居で引越し屋による荷物の搬入作業を見届け、引越し屋が帰った後、チラシの搬入作業をし、バイクで小雨降る中相模原のダイエーに買い物に行った。帰ってきて必要最低限の荷解きをした後、日記を書き始めて現在に至る。

2009年10月1日(木)

17:08
今日も新居から。

昨日はあの後ワインを飲んで寝た。その時見た夢は覚えていない。夜中に目を覚まして支度をし、仕事に出かけた(高津区・中原区の残り+高津・溝の口1担当者分)。往きにチラシの入ったカバンを取りに旧居に寄った。

~中略~

新しいほうの仕事が終わって切りの良いところで武蔵新城の立ち食いそば屋で朝飯(カレーライス)を喰った。この時おそらく周到に遠回しな嫌がらせをされたらしいことに店を出てしばらくしてから思い至った。多分クロだったというのが結論なのだが、ここにそれを詳述するといたずらに長くなり面倒臭いだけなので書かない。多分彼らの誤解に基づく「過剰防衛」と言うべき事態なのだが。

2016年10月7日追記:一応書いておく。この店に最初来た時に、従業員のおばさんの接客態度がとても良かったことから、この店を気に入り、その後何度かここで朝飯を喰った。しかしこの日、店内でカウンター越しにカレーライスを注文しようとしていると、私の背後に居たジジイが、私の後ろからこのおばさんに対しておそらく何かジェスチャーをしたらしく、それを見ておばさんがプッと吹き出した。その時点ではあまり不審に感じなかったのだが、そのあと出されたカレーライスを食べてみると、何故か具が何一つ入っていない。おかしいな、と思いながらも食べ終わり、店の外に出ると、目の前にジャストのタイミングでやって来る車があり、そのナンバーが「2974(肉なし)」だった。そこから遡って色々考えてしまったわけだが、先刻のジジイが私の死角からおばさんに送っていたジェスチャーがおそらく私を揶揄するような内容、それもおばさんが思わずプッと吹き出してしまったことから性的な内容だったのではないかと考え、私がそのおばさんを性的対象として見ているかのような話にいつの間にかなっていて、おばさんもそれを拒絶する意思表示を込めて具なしのカレーを私に出すという嫌がらせに協力したのではないかと考えた。....まあ、確かに実際に詳述してみたら、いたずらに長くなり面倒くさいだけだった(笑)。

仕事終了後まっすぐ帰宅。道中また旧居に寄って資源ゴミのゴミ捨てをした後、部屋の中で少し横になってまったりした。昨日に続いてその時も睡魔刺激が来て、何度も断続的にうたた寝をした。その時見た夢は、たくさんあったがあまり覚えていない。一つだけ覚えているのは、ほぼ音声のみの夢で「恋愛はリャンメン(両面)待ちじゃないよ。ペンチャン(辺張)だよ」という男のセリフ。

相変わらず、睡眠前のまだ意識がある状態においても様々な音像が頭の中に浮かび上がってくる。それらに関してはどこまでが私の脳のオリジナルイメージで、どこからが外部から送信されたものなのか見極めがつきにくいのだが、ひょっとしたらそういった二者択一ではなく、刺激として与えられる特定の周波数の電磁波が、薬物で言えばマリファナのように音に対する感受性を高めているという可能性もあるだろう。その場合私の頭に浮かんだ音像の一つ一つは送信されたものではないけれども、電磁波の刺激によりそういう特殊な状態にされているわけで、やはり人為的な操作が加わっていることになる。

うたた寝から覚めてから新居に帰宅。その後はゴロゴロしながらブログチェックをしたりした。ガス会社が湯沸し器の栓を開いた後、風呂に入り、引越し荷物の荷解き作業を始めたが、時々激しい脳内バグの奔流に見舞われ、気が散って何度も作業が停滞してしまった。また脳内バグに即応した敏感な反応が、主に耳圧迫(バグ内容によっては勃起刺激)で返ってきたので、これでは引越しする前と何も変わらないと言える。
一応夕方までに作業は一段落ついた。

2009年10月2日(日)

14:33
今日も新居にて。

昨日はあの後ワインを飲んで寝た。その時見た夢は、覚えていない。しかし目が覚めると眼球に鈍い痛みが残っていて、しばらく視野が霞んで見えにくい状態が続いていたので、睡眠中負荷の高い映像送信があったのかもしれない。

支度して仕事に出かけた(溝口・高津4担当者分+共有物件)。行きの道中、市が尾の交差点(かつて私が青葉署の警官に信号操作と疑われるやり方で赤信号無視の切符を切られた場所)で、信号が赤だったので停車をすると、前方5mくらいの歩道から、チンピラ風の短髪の男が車道側のドブに立ち小便をしていた。駅近くの大通りなので、とても珍妙な光景であり思わず笑ってしまったが、後から思い返すとやはり集スト的ストリートシアターの疑いが濃厚だ。まずこの男は小便をしている時、普通なら手を性器に添えるところを全くそれをせず、手放しのまま突き出すように排尿していた。これは自分の性器を見せたかったからではないかと思われた。私はたまたま白線より数メートル手前に停車していたので、私のバイクのヘッドライト(今お誂え向きに上向きのみになっている)に照らされて、ちらっと白っぽいかわいいおちんちんが見えたくらいだったのでよく分からなかったが、もし白線近くまで進んでいたら目の前でモロに見せられることになったことだろう。
さらに男は派手な排尿を済ませた後、横断歩道もない交差点をガニ股で堂々と渡り始めた。かなり緩慢な動きだったのだが、その間ずっと赤信号だったので、両方向の車が見つめる中で交差点はしばし男の一人舞台のようになった。そして男がちょうど渡り終わったその瞬間に信号が青に変わったのである。

私はこれを見て、明らかにこれは青葉署が噛んでるな、と思った。かつてと同じ場所で、またもや信号操作である。しかし集スト工作は数あれど、警察がよりによってどうしてこんな幼稚な下ネタそのもののストリートシアターに率先して関与してしまうのだろうか?今更ながら呆れた。

~中略~

仕事終了後、まっすぐ帰宅。道中、江田の辺りで並走する車列の中に一台「931全部入り」の車を見つけたのだが、その時は大して気にも止めず、遅かったので左から抜いて行こうとした。すると不自然な幅寄せをしてきたので、これは完全にクロだということが分かり、次の赤信号の際にその車の真ん前に停まって、例のバックミラーメッセージをお伝えして立ち去った。そうしたらその途端に雨が激しく降り始め、腹筋に突っ張るような違和感が生じた。

2009年10月4日(日)

14:24
今、自室。また一日飛んでしまった。

昨日はあの後、ワインを飲んで寝た。その時に見た夢は覚えていない。夜中に目を覚まして支度して仕事に出かけた(溝口・高津2担当者分+鷺沼・小台・有馬1・2)。仕事終了後はまっすぐ帰宅。朝食を食ったあと風呂に入り、その後電子ピアノを新居で初めて弾いた。キーボードのリズムマシンに合わせて、ピアノ以外の音色でアドリブで弾いていると結構楽しかったが、やはり途中で腹筋をえぐるような痛みや、床の「ぶれ」感を伴う衝撃波が襲って来て妨害された。これも旧居にいた頃と同じである。

その後父が訪ねてきて、部屋に招じ入れて話している間、また床からのじんじんする刺激と、腹筋の痛みを引き起こされて気分が悪くなった。そのあと父の車で旧居のマンションに行き、部屋に残っていた粗大ゴミを車に積み込んで麻溝台の粗大ゴミセンターに行った。そこで引き渡しを済ませた後、先日内金を入れて店に保管してもらっていたギターを取りに129号線を南進した。その用事も果たした後、今度は引き返して上溝を通り、新居のある方向に戻ってきた。どこかで飯を食おうという話になっていたのだが、結局交差点で信号待ちのときに父が見つけた焼き肉屋に入った。

そこで飯を喰ったのだが、厨房近くのテーブルに陣取ってしまったところ、厨房内での店員同士の会話がうるさく、私が頼んだレモンサワーの味もおかしかった(ドリンクに入れる成分のうち、何かが過剰に入っていたのか、それとも他の何かが入っていたのかわからないが、トイレの芳香剤のようなフレーバーが濃厚に感じられた)。あと最後に出されたビビンバのナムルも残飯から拾ってきたもののようにクタクタで不味かった。最後の方でほんの一言二言、全く聞き取れない言葉を店員同士が交わしているのが聞こえてきたが、朝鮮語だったと思う。店員たちは概ね若い男女だったが、要するに在日の人達だったのだろう。彼らの中には私の思考盗聴ログや視覚盗撮モニターにアクセスできる者が多いはずなので、おそらく私たちが入店(父がこの店を見つけたのは全くの偶然だったと言えるので、前もって準備はできないはずだ)してからすぐに情報が入ったものと見える。

2016年10月8日追記:この時点では、店員のノイズキャンペーン的な私語や飲食物への悪戯くらいしか疑っていなかったようなのだが、その約2年後、俄かに音声送信(念話)が激しくなり、そこで加害者たちから聞かされた話によれば、この日に彼らの間でスーパーウーマンなどと呼ばれている工作員の「ようこ」という女が、女子店員として私の前に現れたとのことだった。そう言われてみると、確かに店員たちの私語の中に、盛んに「ようこさん」という言葉が聞かれていた。その「ようこ」らしき女はその後私たちのテーブルに確かにやって来て、何か飲んだかと聞いてきた。私がサワーを飲んだと答えると、「飲んだんですか」と言った。上述のようにそのサワーの味が変だったので、そのセリフも「アレを本当に飲んだんですか」というような、イヤな響きを持って聞こえた。その間父はなぜだかひたすら黙って焼肉の網を楊枝で掃除し続けていたのだが、その行動も妙だった(客がそんなことをする必要はないので、あたかも店やこの女に対して「敬意」を表しているかのように見えた)。本文では「父がこの店を見つけたのは全くの偶然だった」と書いてあるが、今思えばその時の父の動きも不自然な処があった。最初私に行きたい店を聞いてきたので、16号線のファミレスあたりにしようと言っていたのだが、この店の前で信号待ちになったときに、急に、「ここでいいか」と言い出したのである。父がそういうことを言い出すことは滅多にない。
父がその時点で彼らに一方的に操られていたか、父と彼らとの間に音声送信(念話)によるコミュニケーションが成り立っていたか、いずれかだったと思われる。いずれにしろ新居における工作に関わる人物として、この「ようこ」を私に引き合わせる為のセッティングだったらしい。

~中略~

目が覚めてから支度をして仕事に出かけた(溝口・高津3担当者分+共通物件)。道中の警察車両の多さ、コリジョンキャンペーン、片目ライト、ナンバーアンカリング等はいつものことなので、特に記さない。仕事中また猛烈に眠くなってきて、一応起きている状態でチラシを配っているのにもかかわらず、頻繁に意識が遠のき、そのつど夢のイントロのような音声が浮かんできた。たまらないので、玄関前通路脇にベンチのあるマンションで、横になって急遽仮眠をとることにした。

そのとき意外にも鮮明な夢をいくつか見たのだが、前半のほうは忘れてしまった。覚えているのは後半の方。なんと今の自分と同じ状況の夢が現れた。つまり今マンション前のベンチで横になっている自分から見える視界と同じものが見え、自分がこれから仮眠を取ろうとしているという夢である。しかし現実とは違って、私の視野の外にある歩道側からは、いかにも集ストらしい喧騒、私を見て笑い物にしている人たちの声が聞こえてきた。馬鹿笑いに混じって「ウケる~」などと皆口々に言っているのが聞こえた。一方私のほうは金縛りにかかってしまっていて全く身動きが取れない。しかし声は出せる状態だったので、彼らに対して(実際には振り向くことが出来なかったので彼らのいる方向とは逆のマンションに向かって)文句を言った。また私のすぐ隣(足側)のベンチにいる者がさかんに豚鼻を鳴らしていたので、それにも腹を立て「鼻をかんでからにしろ!」などと叫んだ。これらの声はマンションに反響してやたらよく聞こえた。全く現実と見間違うような夢だったが、目が覚めてみると、やはり今のは夢だったと納得できるような、静寂と確かな現実感が広がっていた。もちろん深夜のこの時間帯に歩道に集まっている人たちもいなければ、隣のベンチで鼻を鳴らしている人間もいない。しかしこのとき短時間のうちにこのまるっきり同じ状況設定の夢をもう一回見たので、これらは明らかに人工的に送信された夢であったと思われる。どちらが現実でどちらが夢なのか、区別がつかなくさせようといういたずらだったようだ。もう一つそれとは別に最後に見た短い夢では、誰かから来た手紙を読んでいるシーンがあった。手紙には、「このたびはご出席いただきありがとうございました。上司のマホリ様とご一緒に…」云々と書かれてあったが最後までは読んでいない。おそらく結婚式か何かの出席者へのお礼状だったようだ。父がその場にいて、「それ本当?」と私に聞いてきたので、私は「知らない。(向こうの)勘違いじゃないかと思うんだけど」と答えた。

~後略~

2009年10月6日(火)

16:05
今日も自室より。

~中略~

先週雨で地図がボロボロになってしまっていたので、場所が確認できないマンションがたくさんあった。そこで会社に電話して地図をファックスで送ってもらうよう頼んだ。ファックスを待っている間、手元のピアノを弾いていたら最近定番の腹筋をぐりぐり抉るような刺激が襲って来た。心の中で毒づきながら尚も弾いていると、はっきり床が震え、それと同時に頭に強力な衝撃波が襲ってきた。さすがに頭にきて階下(4階)を見に行ったが、前もって聞いて《今、不快刺激が襲ってきた》いたとおり、真下と斜め下の部屋は空き部屋で誰もいなかった。部屋に戻ると、スカイコート賃貸センターからタイミングよく携帯に電話がかかってきた。旧居の鍵の返却についての件だった。その後もう一度スカイコートから電話がかかってきて、返却場所を変えて欲しいと言われた。私はその電話の中で、「この部屋に引っ越しても何も状況に改善がない」と言っておいた。

~後略~

2009年10月8日(木)

1:40
今日も自室から。

昨日(というか一昨日)はあの後、それまで閉まっていたサッシ窓を開けたのだが、その途端に近所で粗大ゴミ回収車のスピーカー音声が鳴り響き始めた(窓を開けたので今まで聞こえなかったのが聞こえ始めたという意味ではなく、窓を開けた直後に、今まで鳴っていなかったスピーカ音声のスイッチが入ったという意味)。

その後ワインを飲んで寝た。その時見た夢は覚えていない。目を覚ました後、支度して仕事に出かけた(リハウス4担当者分)。仕事終了後、まっすぐ帰宅。朝食を食って風呂に入り、ごろごろしているうち寝た。その時見た夢も覚えていないが、睡眠中、旧居で朝寝の際に喰らったのと同様の、血行不良による痺れと痛みを引き起こす傷害刺激を全身に喰らった。

私の身の上に起こることだからおそらくはセッティングだと思うが、昨日、階段の昇降の際に3階の住人と立て続けに遭遇した(一組のカップルと一人の若い男)。いずれもちょうど私の部屋の真下にあたる部屋の住人である。偶然に任せるならば、階段の途中でハチ合わせになってもいいわけだが、それだと自分たちがどこの部屋に住んでいるのかをアピール出来ないので、それが分かる形での遭遇をセッティングされた可能性が高い。つまり彼らがこのマンションにおける加害担当者である可能性が高いのだが、それと今朝受けた攻撃との関連性について考えている。旧居でおなじみだったこの被害だが、この部屋でこれを受けたのは今朝が初めてだったようなので、彼らがこの攻撃の予告仄めかしとして現れたとすれば、彼ら自身がこの加害ツールを弄っているということになるのだが、だとすればこのツールは近距離でしか有効でない類のものなのか?私はこれまで室内でおけるたいていの被害は野外の公園などでも受けてきたので、これもそうなのではないかという可能性を考えていたが、やはりこれは別なのか?それとも実際には遠隔からでもできるのにも関わらず、あえてこいつらがやってるんだぞと噛ませ犬的に配置されているのか?その辺がよくわからないが、少なくとも遠隔的に作用できるツールだけで充分ターゲット痛め付けたり脅迫したりすることが可能なはずなので、そのツール自体が蛇足であるという感は否めない(蛇足というならテクノロジー犯罪や集ストというもの全体が、そもそも社会にとって全くの蛇足であるが笑)。

そのあと昼からワインを飲み始めた。飲み始めるや否や、16号線で救急車のサイレンが鳴り始めた。そのあと寝たが、その時見た夢は、この部屋で初めての記憶に残る送信夢だった。感覚的にリアルな夢が続いたが、現時点では断片的にしか覚えていない。

①学校の教室で自分の席についている。始業式の日だろうか、級友たちと久しぶりに顔を合わせているようなワイワイした賑やかさの中、私は「最近太ってきた」と周りの連中に言っていた。すると周りはみんな中学生位なのに、一人だけ見知らぬ中年の男性がいて、「カレーがいいよ。カレー食ってれば痩せる。カレーには納豆に入ってる栄養も全部入ってるから」などと言ってきた。私は「納豆カレー」というものがあることを思い出し、彼に何か言い返そうとしたが、うやむやのまま目が覚めた。
②目が覚めたと思ったが、そこがまだ夢の中だったようで、①の夢を思い出しながら雲の浮かぶ青空の下、歩いている場面。
③「新居」に住み始めているのだが、そこは私の実際の部屋とは別の、見知らぬ家。特徴としては仏壇が3つあったのと、寝室が押し入れの中にあった、というか押し入れだと思っていた場所が襖を開けてみると意外に広く、中に布団が敷いてあって立派に寝室の体をなしていたということ。
④その家への引越し作業の途中なのか、父と二人で大型量販店(ホームセンター?)の店先のようなスペースにいて、父に荷物を運ぶか何かの用事を頼んだのだが、「やだよ」と言われた。
⑤これも引っ越しと関係があるのか、久木新道の途中にある(実際にはない)リサイクルショップのようなところに入り、「クリアボックスを買い取ってほしい」旨言った。すると、出てきた店のおばさんに何か言われ、「捨てるより良いと思って」と言ったら、「そんなもの持ってこられても困る」などと突っ返された。私は「いや、そういう意味じゃなくて、充分使えますよ。新品同様とは言えないけど」などと言い訳をしたようだった。するとそこに居合わせた若い女性(店の娘?)が「おじさんがもう一人いるようなところで、カンカン音がして…」とかなんとか、意味不明なことを呟いたので、それに対して「そういうんじゃないから。そういう設備じゃないから」と、分からぬまま分からぬ言葉を返したようだ。

一旦17時台に目が覚めたようだったが、夢ばかり見(せられ)て寝疲れてしまった感じで、これではいくら寝ても寝たりないと思って再び眠りについた記憶がある。確かもう一度目が覚めたがその時も同様で、結局起きようと決意したのは夜10時台だった。起きると眼球に押さえつけられたような鈍痛が残っていたし、夢の内容からしてもこの時に見た夢は確実に送信された夢だったと思う。

そのあと階下から自室にチラシを搬入、支度して仕事に出かけた。しかし台風接近中ということで外はひどい雨だった。これでは仕事にならんだろうと思い、野津田の先まで行ったところで引き返してきた。びしょ濡れで帰宅、すぐに風呂に入って暖まった。一段落した後、日記を書き始めた。

2009年10月9日(金)

9:28
今、久しぶりに相模原公園に来ている。

昨日はあの後、朝までワインを飲んで寝た(ブログを読んでいる最中に眠り込んでしまったようなので、睡魔攻撃によるものの可能性が高い)。その時見た夢は、また鮮明な送信夢と思われるものだったが、断片的にしか覚えていない。

①前段を覚えていないが、とあるマンションのエントランスのような場所で、携帯で警察を呼ぶシーン。すると即座に婦警が現れて、「鈴木です!」と名乗った。私は(そもそも何の用事で警察を呼んだのか覚えていないのだが)、自分で呼んでおいて「別に何でもありませんから!すみません!」などと言ってすぐに追い返そうとした。
②店舗ともオフィスともつかぬ通り沿いの小さな建物の中に居る。奥のほうのスペースに、マッサージ機と思われる器械が並べて置いてあった。私はそれを見たりいじったりしながら過ごしていたが、そのあと手前のほうに出てくると、そこに中学時代の同級生でヤンキーだったO原君らしき人物がいた。その時BGM としてロック調の曲が流れていたのだが、そこに出てくるギターのつなぎのフレーズが音程が取りづらく感じられたので、そのことをO原君に言った。するとO原君は、「いいじゃん、かっこいいじゃん」などと言ったので、「いや、俺はあんまりこういうのは使わない。俺はね」と話を自分に限定することで衝突を避けた。そのあと場面が変わって、隣の建物の前景が目に映ったが、その建物の中から逮捕され連行される人間が確か二人出てきた。彼らの口には縦に輪が噛まされており、ダッチワイフのような口の形になっていた。

~中略~

帰宅し、缶ビール500mlとワイン1杯を飲みながら夕飯を食って寝た。その時見た夢は、これまた送信夢だったようだが、雰囲気は思い出せるものの、今となっては詳細がどうしても摑み取れない感じだ。確か賑やかな感じで、芸能人らしき人々も大勢出てきたと思う。ピクニックみたいに話しながら移動していたのだが、その中の女性(達)とまた改めてどこかへ行く話をしていたような気がする。その後(一旦覚醒を挟んだのか覚えていないが)少し趣の変わった短い夢が、付録のようについてきた。私が異国の街角にいて、その国の家族と行動を共にしているという状況設定らしかった。覚えているシーンとしては、私がその家の主人らしき男性の車を戯れに蹴ったか、蹴るふりをしたところ、運転席から彼が出て来るシーン。彼は本気で怒っている様子はなかったが、私が謝罪の言葉を探して、「ディス…」と言いかけて止まっていたら、意を察して彼は「Disculpe」と受けた。その後も彼はスペイン語を使い続けていた(聞き取れなかったが)ようなので、私がいた国は中南米のどこかの国ということらしい。その後、場面が転換し、屋外の食堂のテーブルを大勢で囲んでいるシーンになった。先程の場面に出てきた男性の家族であったかどうかははっきりしないが、色の浅黒い女の子が私の近くにいた。また向かいの席にいた別の女の子が、メニューを見ながら「〇〇とかぼちゃの炒め物」と(日本語で)言った。私は「あっ新しいもの見つけてきたね!」などと言ったようである。目が覚めると、またも目に鈍痛が残っていた。言うまでもなく、送信夢であろう。

その後すぐに仕事に出かけた(リハウス3担当者分エリア)。終了後、まっすぐ帰宅。朝食を食ってゴロゴロしながらブログチェックをしていると、旧居で受けたのと同様の睡魔刺激。その刺激自体は不快ではないので、その誘惑に負けて眠り込んでしまうと、待ってましたとばかりに傷害刺激に切り替えてきて睡眠妨害をされてしまうのが分かっているので、それをかわそうと風呂に入った。風呂上がり後もしつこく睡魔が襲ってきたが辛くも耐え、作業報告書をFAXした後すぐに出かけた。

買ったばかりのヘルメットの上部にシワシワのサランラップを貼ると、視野がぼやけてちょうどいいアンカリングナンバー対策になると思って出発直後にやってみた。しかし実際にやってみると、シワシワの目が粗くあまり効果がないようだった。がっかりしていると、淵野辺交差点にパトカーの姿があり、きちんと二段階右折を実行しなくてはならない状況になった。型通りにまず交差点の左先に進むと、眼前のジャストポイントに「1371 (意味ない)」というナンバーのトラックが停車していたのでギョッとした。単独だったら偶然も考えられるが、パトカーに二段階右折を強要された先にちょうどいたところを見ると、やはりコラボだったんじゃないかと思われた。

相模原公園に到着して現在に至る。これを書いている間カメムシが何度も這い寄ってきた。

2009年10月10日(土)

15:32
自室にて。

昨日はあの後、公園で携帯から「不幸のブログ」にアクセスして読み始めたら、もともとバッテリーが3あったのに、今日はあっという間にバッテリー切れまで落とされた(3から1というのは常態化しているが、一気に0まで落とされたのは初めて)。携帯が使えなくなり、やることがないのでその時点で公園を後にし、帰宅した。その後ワインを飲んで寝た。その時見た夢は、リアルな感触はあったようだが内容はきちんと覚えていない。

ただ最後の方で、急斜面のトンネルをバイクで駆け上るというシーンがあり、そのトンネルを抜けた向こうの高台に人が集まっていた。彼らは(勉強の?)成績優勝者ということらしかった。彼らが何のためにそこに集まっていたのかは不明だが(そこが駅になっていてどこかに行こうとしていたのか?)、私が引き返そうとしていると、確か小学校時代の同級生のN川君に、「昔の○○(実力?)があるなら残れよ。」みたいなことを言われたようだ。

夕方目が覚めて夕食をとり、その後ゴロゴロしていると、妙に気だるい眠気がいつまでもまとわりついてきて何度も夢うつつを行き来した。この状態になると、意識のレベルが少し下がっただけでも妙に鮮明なイメージが浮かんできて、そのまま夢がスタートしてしまうので、そういった夢の断片は全部覚え切れないが、そのうち覚えているものだけを書く。

①父とファーストフード店でいろいろ注文内容を考えているシーン。
②ビル内の階段を降りていくと、そこにはなぜか鮮明な海岸ぷちの風景が広がっていた。岩場の先が小さな原っぱになっていたのだが、そこにたくさん生えていたススキの葉がリアルに見えた。
③省略。
④誰か(覚えていないが、後のシーンから考えるとジェロという人?)と部屋で話している。その後、彼が家から出て行き、残った私が両親に、「ジェロさんが来るって決めたのは誰?父さん?母さん?」などと問い続けた。

~後略~

2009年10月11日(日)

13:41
今日も自室より。

~中略~

そのとき見た夢は、

①省略。
②省略。
③中学時代の同級生のM上君と思しき友人といるところに警官(刑事?)がやってきて、ちょっとついてきて欲しいと言う。それは何かの事件の捜査への協力ということらしかった。私はM君と一緒に、その警官(刑事?)について歩いて行くのだが、そこは山道から脇に入り、さらに山奥に分け入って行くような場所で、途中で廃屋のような家の横を通ったりした。「いかにも死体がありそうな場所だな!」などと私は一人で大騒ぎしていたようである。そのうち道の先が小さな崖にぶつかり、M君はその先を降りていったが、私は警官(刑事?)に制され、崖の上でしばらく待った。その後で崖の下を覗いてみると、M君が建設現場でよく使われるような鉄板を地面に立てて、その上からハンマー(?)で叩くような作業を一生懸命にしている。私も上からその鉄板を下に落としてみたりした。
④小さなテーブルの周りに数人の若い男達が集まっていた。彼らは、「みんなで一緒に鉄を作ってきたが、自分たちの思うような鉄は結局作ることができなかった。でもそれなりのものはできたし、全力で頑張ったんだからいいじゃないか」というような話をしていたようだ。私自身がそのメンバーになっていたかどうかは定かでない。

~後略~

2009年10月12日(月)

14:13
今、横山公園に来ている。快晴。

昨日はあの後、ワインを飲んで寝た。その時に見た夢は、送信夢と思われるリアルな夢。覚えている場面は次の通り。

①図書館の書架から一冊の本を手に取ってパラパラと読んでみる。中身は小説なのだが、確か妄想の境に遊ぶような意味不明な独白が書き連ねてあるといった作品で、作者の名前を見たら「古    滋」と書いてあった。「古    滋?」と思っていたら、誰かに「古川 滋」だと教えられた。すると、昨日の夢(省略)に出てきた、小太りのメガネをかけた女性作家とおぼしき人がまた出てきた。
その後、頭の中で声が聞こえ始め、若い女の声で「聞こえる?」と言ってきたようだ。私が「これは音声送信をやり始めたってことだな?」とすかさず言ったら、女の声は「ふふふ」と笑い、「○○○○○○という本を読んでみて」と言ってきた。それは長いタイトルだったが、この作家の別の作品らしいらしかった。

最初に手に取った小説は、その時は思い至らなかったが、目が覚めた後で思い返してみると、笙野頼子という作家の作品に作風が似ていたようだ。

②「新居」で寝転がっているのだが、例によって実際の自分の部屋ではなかった。目の前の部屋のドアが開きっぱなしになっていて、さらにその先にある玄関のドアも開いていたので、戸外が直接見えた。そこにバイクが一台乗り付けてきて、私の部屋の方にまっすぐやって来た。やって来たのは郵便配達員だった。私は「どうも」と言いながら手紙を受け取ろうとしたが、何か障害物(網戸?)があったのでそれをのけた。郵便配達員は部屋に入ってきたが、部屋の中には犬がいて彼に噛み付こうとした。
③広場のような場所で、外国人の子供たちがぞろぞろと集団で歩いている。雰囲気としては葬送行進といった感じもした。彼らの事情については(声か文章か忘れたが)説明が付いていて、その中にスターリンという言葉が出てきていたようだった。彼らの中にいた一人の少年が、「いつまで泣いていても仕方がないから、笑うんだ」というようなことを言っていたと思う。私はそれを見ながら「終わった話じゃなくて、この先彼らも狙われ続けるんだから、大変だよなあ」というような感慨にふけった覚えがある。
④駄菓子屋のような店で買い物をする場面。まず店先で入り口の外に置いてあった「うまい棒」のようなお菓子を勝手に何本か口にほおばってから、そのお菓子を確か6本くらいカゴに入れ、店内に入った。その後、かっぱえびせんのような袋菓子にも手を伸ばしたと思う(確か値段は60円)。その後レジに行き、勘定を済ませようとしたのだが、私はいつの間にか和服を着た怪力のおばあちゃん(志村けんによる扮装だったと思う)におんぶされているような体勢になっていた。そこでレジの女性や、おばあちゃんと何か会話を交わしたと思うのだが、その内容は覚えていない。だんだん私がおばあちゃんの背中からずり落ちてきたので、後ろから左手を回しておばあちゃんにしがみつくような形になったところで終わった。
⑤どこにでもありそうな住宅地の街角を歩いている。道は一本道で、歩きながら「この辺の家、みんな知り合いだ」とか何とかうそぶいていた(偽の記憶があったのかもしれない)。道が二段階に折れ曲がる場所があって、その右側の家には「算数博士」という看板が掲げられていた(塾のようなものかもしれない)。確かその家の庭からメガネをかけた男性が顔を出していたと思う。その少し先の左手にやや大きめの家があって、私はそこに躊躇なく入って行った。階段を上ると、二階は伽藍洞の大広間になっていて、私はその部屋の窓側から床の拭き掃除を始めた。すると少し離れたところに女性が一人立っていて、「この辺にはそろそろクラゲが集まってくる」と言った。私は「はあ。クラゲですか」と比較的愛想よく答えたと思うが、意味は分からなかった。この「クラゲ」という言葉は夢の前の部分で一度出てきたキーワードだったような気がするのだが、どんな意味合いで使われていたのか、思い出せない。ちなみにこの女性は最初に見たときと再び目を遣ったときで完全に別人にすり替わっていたが、どちらもリアルな姿をしていた(最後に見たときはA布の同級生の女性に似ていたようだ)。その直後に急に目が覚めたが、このときの目覚めはイヤにパッチリとしていて、これ以上寝る気は絶対に起こりそうもなかったので、送信者はこの夢を最後に「持ってきたかった」のかもしれない。

支度して仕事に出かけようとしたが、バイクのヘッドライトが切れていることに気づいた。下向きは以前より切れていたのでずっと上向きを使っていたが、その上向きライトが切れたということである。仕方がないのでこの前バイクの鍵をドブに落としたときに買った懐中電灯をヘッドライトの上にガムテープでくくりつけてヘッドライトの代わりとした。往きの道中・仕事中に何度もパトカーの接近があったが、捕まることはなかった。仕事(有楽。宮前平、土橋1・宮崎台とリハウス。2担当者分+共通物件)終了間際に溝口の松屋で牛丼をを食い、仕事終了後まっすぐ帰宅。風呂に入り眠くなって布団の上でごろごろしてるうちに少しうたた寝した。その時に見た夢は、

子供時代に戻っているようなのだが、一緒にいる連中が誰だったのかよくわからなかった。大勢でたくさんのチームに分かれて「鬼ごっこ」のようなゲームをしようという話になっているのだが、ルールがよく呑み込めないままゲームが始まってしまった。周りの様子を見ていると、他のチーム(色でわかる)の者にタッチされたらアウトということのようだったので、とりあえず逃げ回った。するとグラウンドに癇癪玉のようなものも撒かれているらしく、それを踏んで破裂させてもダメらしいということを知らされた。私は「つまんねーよ、つまんねーよ」を連発していたようだ。

~後略~

2009年10月14日(水)

14:03
今日は自室にて。

~中略~

その時見た夢は、後半の方しか覚えていないが、覚えている部分は大変リアルであり、送信夢だったと思われる。

①ジャニーズ事務所のタレントが目の前にずらっと並んでいた(中央にいたのが、山下智久という人だった)。彼らと会話を交わしたようだったが、自分が話しかけた部分しか覚えていない。すなわち、

私「ジャニーズって脱毛とかしてるの?」
ジ「してる」
私「ワキ毛とかも?」
(中央の山下君がうなづく)
私「え~!?」

というやりとりの部分のみである。
テレビスタジオか何かと直接繋げられたような雰囲気があったので、彼らが番組の合間に夢に「出演」してきたのではないかと思わせるような夢だった。
②どこかの宿泊所の玄関で、鏡を見ながら服装を整えている。一応服装が整ったところで、やっぱり風呂に入ろうかと思い直す。
③道端で焚き火を始めた人がいる。周囲の者達が止めたにもかかわらず始めたので、顰蹙を買っていた。彼はそのうえ火の中に布団類を投入したため、炎が高く立ち昇った。すると遥か遠くの川の水面が盛り上がり、津波のようにこちらに押し寄せてくるのが見えた。またそれに伴って、水面から投げ出された大小多くの魚たちが、ビュンビュンと上流の方から空中を飛んできた。周りからは「マグロが飛んでくるぞ」という声が上がっていたのだが、実際に見たのはもっと小ぶりの魚だったようだ。落ちてきた魚を二匹ばかり拾ってみたが、一匹はカツオくらい、もう一匹はイワシくらいだったように思う。しかしその姿といい、触感といい、実にリアルだったのを覚えている。

~後略~

2009年10月16日(金)

12:45
今日も室内にて。外は穏やかな晴天。

昨日はあの後ワインを飲んで寝た。その時見た夢は、

①省略。
②公園の敷地から軽トラが出て行こうとするので、その運転席の後ろにしがみついた。そして運転席にいる者をその場に閉じ込めて動けなくしたようだ(箱に入れた?)。その後、また軽トラが動き出し(誰が運転していたのか不明だが)、再び公園の方へ向かった。するといつの間にか閉じ込めていたはずの人間が逃げ出していて、車の前でよろけていた。それはショートカットの中学生の女の子だった(その時初めて確認した)。現実世界では会ったことのない子なのに、例によって顔・姿はとてもリアルだった。私は女の子に、「警察に言ったら殺すぞ。他に選択肢は無いからな」と言って脅したが、女の子はどんどん公園の方へ歩いてゆき、人混みの中で(警察だったかどうかははっきりしないが)誰かに話しかけようとした。これはやばい、と思ったところで目が覚めた。
③場所は接客カウンターのあるオフィスのような場所なのだが、そこが学校の教室になっていて、今日は宿題を提出する日ということになっていた。私は作文の宿題をまだやっていなかったので、その場で慌てて書いていた。そのすぐ隣にナオスケとタックルがいて、ナオスケに、「早く書き上げないと」というようなことを言われたのだが、なぜだか必要以上に強くせかされているような場の空気を感じた。他の人たちのセリフの端々からも考えられる事は、どうやらこの宿題の提出というのが、厳密に名前の順か何かに従って行われており、私が提出するまで後の者たちは提出することができないということになっているようだった。私は当分終わりそうもないし、おかしなルールだと思ってカウンターの奥の扉の前まで行った。その扉の向こうは先生の居室になっているのだった。私が呼ぶと、ようやく先生が出てきたが、それは小学校時代のT石先生だった。私は先生に先程の疑問をぶつけてみた。すると先生は私の先に立って歩き、私を導いた。我々はいつの間にか地肌の露出した空き地(開発途中のまま放置されたような土地)のようなところに来ていた。そこに一つの岩が転がっているのが見えたが、そこへ一人の若い男が突然乱入してきて、その岩について、「これはレッドの持ち物!だから問題の大部分は解消!!」と大声で叫んだ。私には全く意味が分からなかった。

〜後略〜

2009年10月17日(土)

14:06
今日も自室より。

~中略~

帰宅後、朝飯を食ってゴロゴロ。ブログチェック等しているうちに眠くなって寝た。その時に見た夢は、学校の教室でのワンシーン。

放課後なのか、がらんとした教室の中、真ん中へんの席に一人か二人いて、最後列の席には数人が固まっていた。黒板の前では役者のような男性が劇の配役のようなことを黒板に書きながら色々と喋っていた。私はまず中央の席にいた誰かと二言三言、会話を交わしたのだが、その内容は覚えていない。そのあと後方の席に陣取っている人達のもとへ移動した。彼らは前方で講釈している男性の話を聞いているようだったので、私もそっちに注目したが、黒板に書かれている言葉の断片から、何かお寺に関わる時代劇の話をしているものと(一人)合点した。私は「丹波哲郎を使えばいいよ」などと野次を飛ばしたが、すぐに思い直し、「物故されてたっけ?」と言った。すると隣にいた誰かが、「あっでも、福岡寺の住職やってたよ」と私の話に応じたようだ。するといつの間にか教壇の上にいた男性が私たちのすぐ近くまで来ていた。

目が覚めたら動悸を引き起こされていることに気づいた。おそらくその刺激で目覚めさせられたのであろう。その後またしばらくウェブチェックなどをしながらごろごろしていたようだったが、再び眠気が襲ってきてまた寝た。その時見た夢は、前半部分はよく覚えていないが、後半部分はやたらリアルで印象的だった。

前半部分は、おそらくまた引越しに関わる夢だったが、今回はこれから引越しをしようと考えている段階という状況設定だったようだ。なかなか部屋が決まらず、とりあえず父の部屋(父も団地かアパートに住んでいるような設定だったと思う)にしばらくの間泊めてもらうということになったと思う。
その後の後半部分では、私は父と二人で買い物に出かけているのだが、商店街の道を歩きながら、なぜか声を限りに歌を歌い出す。その歌というのが、知っている曲ではなく、おそらく即興で勝手に作りながら歌っていた模様。メロディーだけでなく、歌詞もその場ででっちあげていた覚えがある。伴奏の状況については記憶がないのだが、アカペラではなかったと思うので、カラオケの形で既成の曲の伴奏が流されていた(送信されていた)のかもしれない。自分の声がやたら周囲に響き渡って、あたかもステージ上にでも居るような感じで、いい気分だった。曲のエンディングは、私の意思に従うが如く、歌の終わった直後にビシッとしたリズム一発でタイトに終わったのを覚えている。曲が終わった後、父に「これ俺がデビューしたらお宝映像になるよ」などとふざけて言った。その後川の上にかかった橋を渡りながら、私は尚も「でも40でまだデビューしてないんじゃ無理か。みんな13とかでデビューしてるしな」などと独りごちていた。橋を渡った向こう側に大型スーパーがあるのだが、その入り口に差し掛かったあたりで、ちょっと何かがぶつかった触感を感じ、振り向くとそこにはインドネシアのユキさんがいて、剣道の真似をしてお道化ていた。私は「こんちは~」と挨拶をし、そのまま大型スーパーの店内に入って行った。

2009年10月18日(日)

15:21
今、淵野辺公園に来ている。快晴で西日が心地良い。

昨日はあの後、ワインを飲みながら七輪で一人バーベキューをした。そのあと寝たが、その時見た夢はよく覚えていない。ただ最後の場面では、短いトンネル状のスペース(競技場のスタンド裏か?)にいると、見知らぬ小柄なおっさんが出てきて私の前でさかんに鼻すすりや咳払いを繰り返した。私が鼻をすすり返すと、さらにすすり返してきたので、現実世界でのアンカリング場面と同様だった。しかし私はあまり苛立ちのようなものは感じなかったようだ。それとは別に、寝る前に七輪を使った時に出た煙が室内に残っていたせいか喉がいがらっぽく、夢の中にもそれが持ち込まれたようで、おっさんの前でしきりに(不可抗力の)咳をしていた。おっさんがそれを反発と取ったのかわからないが、私に「俺たち喧嘩してるのか?」などと訊いてきたので、「してねえよ。どうして喧嘩してるなんて言えるんだよ」などと言い返したようだ。


〜後略〜

2009年10月19日(月)


14:35
天気は良いが、自室にて。

〜中略〜

一旦目が覚めたのが午前1時半ごろだったが、仕事は休みにしてもう一度寝た。その時見た夢は、後半の方しか覚えていないが、

「チャイム!」のいもっち(妹尾友里江)とおぼしき若い女性と一緒にいる。場所は民家の一室なのだが、彼女はその部屋でラジオ番組のDJをやっていて、私がそれを脇で聞いているというシチュエーションだった。確かその後に「原爆の社長」がゲストとしてやってくるということになっていて、大丈夫かとハラハラしていた。そのゲスト用の原稿だったかどうか定かでないが、原稿の一部が近くにあったので読んでみると、内容とは不釣り合いにひらがなだらけの文章で、よく見ると「これは6年前の1992年に書いたものです」という但し書きがついていた。全然年月の計算が合わないので私は首をかしげた。その後二人で細い街路を歩く場面になり、私はさっきの文章について「いつ書いたの?」と彼女に尋ねたら、「夜」だったか、とにかく時間帯を表す言葉で答えたので、「いや、時期的に」と言ったと思う。それに対する彼女の答えは覚えていない。そのあと先程の番組の出来について、彼女がうまくいかなかったと言って凹んでいたので、「良かったよ。自信持ちなって!」と言った。その辺りで正面から西日が眩しく射し込んできたのを覚えている。私たちは細い一本道から交差点に出て来たのだが、そのあたりで彼女が私に、「付き合うとかいうのは無し」だったか、唐突に過剰防衛みたいなセリフを言ったので、私はそれまで彼女に励ましの言葉をかけていただけなのにと思って腹を立て、「そんなんだからひかれるんだよ!男にも」などと言ったと思う。その後いもっちはいつの間にか姿を消し、目の前にはバキュームカーが現れて道端の大きな家の前に乗りつけた。そこでバキュームカーの作業が始まったのだが、私はなぜかその作業をずっと見ていた。

目が覚めた後、今見た夢についていろいろ考えていたのだが、その後また眠りに引き込まれた。そのときに見た短く浅い夢は、

①合金でできた大きな紋章の彫物を、その隙間につまようじか何かを差し込んで掃除している場面や、大きな機器がたくさん並んでいる中、それを次々と布で拭き掃除してゆく場面(いずれも警察の設備だったという記憶がある)。
②そのあと大通りをバイクで走っていて、五叉路か六叉路か、とにかく変則的な交差点で信号停車するのだが、停車位置を間違ってしまい、前過ぎる位置に停めてしまった。すると斜め前の道から発進してきた車が目の前に突進してくる形となり、危ないのに気づいて私は慌ててバイクを後ろの方へ引っ張って停め直した。すると道の向こう側に停車していたパトカーに見咎められ、正面の信号が青になって走り出した時に、「誰だったかすぐにわかるよ」などとスピーカーで言われた。
 そのあと場面の転換を挟んで、次に覚えているのは、
③またもや私が「新居」らしい部屋にいる場面。そこはマンションの一室で、もちろん実際には馴染みのない部屋であった。私は窓際に座って外の景色を見ていたが、そこはなかなか見晴らしが良く、朝焼けだか夕焼けだかの風景(どちらか分からない)が窓の外に広がっていた。すると左隣の部屋から若い女の声で、「くさい」という単語が耳に飛び込んできたので、すかさず「お前がな!」と言い返した。
④その後、フローリングの自分の部屋(前シーンと同じ部屋だったかどうかは微妙)にいて、今度はいつの間にか目の前に若い女性がいる。何かの用事で女性が訪ねてきて、彼女を部屋に上げ、それまで会話を交わしてきたはずなのだが、その過程は全く記憶にない。しかし彼女は私の知り合いでないにもかかわらず、極めてリアルな姿を持って立ち現れており、その実在感は現実の世界と出会う初対面の人と何ら変わりがなかった(いつものことだが)。彼女は美人だったと思うが、どこか男擦れしているような雰囲気を醸し出していた。彼女が私に差し出したのは小さなパンフレットで、そこには「上智大学〇〇(放送?)研究部」と書かれており、そのメンバーの名前が小さな文字でずらっと並んでいた。《さっきから傷害刺激が襲って来ていて思考力が低下している。今まであまり書かなかったがこの部屋に来てからもずっとそう。書いている日記の内容や文章表現に反応してリアルタイムで妨害が入る》私はその時点でうすうすこれが夢だと気づいていたようだし、この女性の湛えているオーラからしてスムーズにいきそうな気がしたので、何かきっかけになるような話題を探し始めた。そのパンフレットには男女を描いたイラストが載っていたので、「エッチな絵ですね」などと言ってみた(実際には何の場面を描いたものか覚えていないが、別にエッチなものではなかったと思う)。女性の返事は覚えていないが、さらに何かないかとパンフレットの裏側を見ると、なぜかお誂え向きにコンドームがいくつも付録として紙面に埋め込まれていた。「コンドームがついてますね」と私は言い、「これ今使いませんか?」と言った。「今ですか?」と女性は言ったようだったが、私は構わず彼女を抱きにかかった。抵抗はなく、スムーズにことが進んだが、そのあたりから映像のリアリティーは下がり、彼女の顔などは見えなくなった。女性器周辺のイメージが朧ろに出没した程度で、その後いつの間にか挿入している感触があり、そのすぐ後に射精してしまった。その間私の視覚映像は勝手に部屋から飛び出し、射精した時には線路際の街角の路上にいた。そこで「いもっち、ごめん!」などと叫んだようである。そのあと女性を置いて線路際の道をスタコラ走りながら、「ごめん、(コンドーム)使わなかった」と言った。

目が覚めたあと確認すると、やはり「脳内射精」で現実には夢精していなかった。

〜後略〜

2009年10月20日


16:29
外は好天だが、今日も室内にて。

〜中略〜

その時見た夢は、

①省略。
②メガネをかけた女性と二人でキッチンに立っている。女性は味噌汁を作っていたが、投入した味噌の量が多めだったのに加え塩蔵わかめを塩抜きしないまま入れていたようだったので、どう考えてもしょっぱすぎると思い私は「水足して」と言った。すると女性は自分の指の爪をこすって浮き出た垢を鍋の中に落とし始めた。「爪じゃなくて、水足してよ」と私は言ったが、女性は構わず爪の垢を落とし続けていた。

その後ピアノを弾いたりしたが、傷害刺激で妨害された。作業報告書を書いている時も妨害してきたので、腹を立てて久しぶりに声を出していろいろと語った。《今また耳に圧迫感》

2009年10月23日(金)

14:09
今日も室内にて。

昨日はあの後、ワインを飲んで寝た。その時見た夢は、最後の方だけ覚えている。

目の前で父と母が並んで寝ていたので、私は父の体を起こして母の体にちょうど合体するように押し付けた。服の上からなので実際にはできないだろうが、夢の中なのでその辺は曖昧に処理されていたようだ。父と母は眠ったまま交合した状態になり、私は「ちょっとやばいことしちゃったかな」といった不安も兆して二人の様子をしばらく窺い見ていた。やがて父の方が目を覚ましたようで、すぐに自分の体の異変に気づき、おもむろに腰を引いて食い込んだ性器を引き抜く動作をした。

そこで目が覚めたのだが、その直後、近くで救急車のサイレン音が急にけたたましく鳴り響き始めた。サイレンを鳴らしながら接近してきたのではなく、私の覚醒の直後に、今まで鳴っていなかったサイレンが突然鳴り始めたのである。救急車が私の近所であらかじめ「出待ち」していたと考えられ、夢の送信者と救急車によるコラボ工作であったことは確実である。

パトカーもたいがいだが、救急車も実際にはこんなしょうもないことに使われているのである。このことを知っている一般市民は一体どれくらいいるのだろうか?

〜後略〜

2009年10月24日(土)

15:55
今日も室内にて。今買い物から帰ってきたところ。

今日はあの後、ワインを飲んで寝た。その時見た夢は、最後の方だけ覚えているのだが、

亀が丘団地のカマタの家のそばの坂道に似たロケーションで、若い女性と話しながら歩いてゆく。何か付帯情報があったのか、私は彼女を歌手の倖田來未だと認識していたようだ。会話の詳細はほとんど覚えていないが、彼女から「好き」と言われたと思う。そのあと場面の転換を挟んで、今度は亀が丘団地の床屋の前の通りを歩いているシーンになった。確か若い男性二人(そのうち一人はやや年長)と三人で歩いていたようだ。会話を支える文脈の方を覚えておらず何の話をしていたのかがわからないのだが、年長の男性の方が、「コピー取っといてやるよ」などと言っていた。これは女性に話しかけるべきセリフの例を示そうとしていたような雰囲気だった。そのあと四つ角のところで、先行していた若い方の男性がなにやら玄関を調べて、「ない!」と叫んだ。すると年長の方が、「それはフィニッシュしてからだ」と言った。それに対して若い方が、「プレゼントを2回もらおうだなんて、ばかだ」と言ったところで目が覚めた。

目が覚めると、久しぶりに目ショボ感が残っていた。その後、支度して仕事に出かけた(リハウス。3担当者分)。仕事終了後、野津田のあたりで、焼き芋屋の軽トラが対向車線を走ってきたが、片目ライトだった。と思いきや、切れていた左のライトが私の目の前で点灯し、両目になった。集スト工作車として知られる片目ライト車両であるが、どうやらいつでも集スト工作に参加出来るように片方ずつ独立して入切が出来るように細工してあるらしいことがわかった(ちなみに焼き芋屋というのは、言うまでもなくその時聞いていた「チャイム!」の「いもっち」に引っ掛けたほのめかしであろう)。

〜後略〜

2009年10月25日(日)

11:23
今日も室内にて。外は雨天。

~中略~

夢。私は街中のよくある護岸された川べりの歩道にいた。川の向こう岸には建物が並んでいるのだが、建物はこちらに背を向けている格好で、おそらく立ち並ぶ店を裏から見ている状態。向こう岸の川沿いにも歩道が続いているのだが、そこに人が二・三人いてその話し声が聞こえた。どうやら訪ねてきた求職者と店側の人間が話しているような内容だった。やりとりのディテールは目覚めた直後は覚えていたつもりなのだが、現時点では意外と忘れてしまっている。店長だと思われる男性が、「なんか声疲れてるね」「学校行ってるの?」「学校行ってる人はお断りしているの」と言っている声が聞こえた。それに対する求職者の若い男性の声も聞こえたが、よく覚えていない。
そのあと私が川沿いの歩道から通りに出て川を渡ったところで彼らと合流する格好となったが、その時にはっきり姿を確認できたのは髪を短くしている女性だけだったので、彼女は先刻の求職者の付き添いなのだろうと判断した。「何なのあの人って思われるくらい使ってやってください」「いい人っぽいでしょう、顔つきも。そうでもないか」みたいなことをおそらく先程の店長らしき人物に向かって言っていたようだ。《日記の記述中、妨害が酷いので書くのを中断する》

2009年10月26日(月)

10:45
自室にて。外は雨(台風がすごく不自然な進路変更をしたため天気も変更となった)。先ほどから床全体に不快な刺激がかけられており、心臓に負担がかかっているのできちんと書けるかどうか心許ないが、昨日の分が途中で途切れてしまったので一応続きを書いておく。

昨日の朝食後に見た夢。

①二間以上つながった広い部屋にいる。目の前には見知らぬ青年が椅子に座っていた。彼がいろいろ喋っているのだが、きちんと聴き取れないので何度も聞き返す。それでもよく解らなかった。年齢を聞くと、最初「8才」と答えたと思うが、その後の問答では話が変わり、それらを総合すると、どうやら私が16歳のときに生後6カ月で亡くなり、そのあと転生したということらしい(?)。彼の横に小学校の同級生だったH君がいて彼の答えに口添えをしていた。私と青年は向かい合って立ち、私は何か勘違いをしたようで「16歳の時はやってない!」とムキになって言った。すると彼は私を床に倒し、パンツを下ろしてフェラチオを始めた。私はなぜか無抵抗になっていた。そのうち先端から何か粘液状のものが出てきて(射精はしていない)、そこへ向こうの部屋から医者らしき男が駆けつけてきて、その粘液を急いで採取した。そしてそれをカバンに仕舞い込むと、用は済んだとばかりに帰って行った。
②まっすぐ続く街道沿いの小さな公園で父と二人で話している。周囲は暗かった。「ケイコ(母)が『朝起きると傷跡が残っている、寝ている間に誰かに殴られているに違いない』などと言い出している」と父が私にこぼした。つまり寝ている間に父が母を殴っているものと疑われているらしい。私は遠隔的なツールで何者かがやっているか、就寝中の父をマインドコントロールしているかどちらかだろうとチラっと思ったが、「母は(離婚裁判の) 戦略上そういうことを言っているのかもしれない」などと言っておいた。
③また別の「新居」に住んでいる夢。これは視覚的リアリティーが完璧な夢だった。急勾配の丘の斜面にあるマンションなのだが、その入り口付近から見た鮮明な映像は脳裏に焼き付いている。しかしそういった部分は逆に文章にはちょっと書き表しにくい。覚えている場面としては、自室の中にバスタブがあり、その周りに洗濯物が山積みになっていたのだが、その一部がバスタブの水の中に落ちてしまうというシーン。これから洗う分なら濡れてもいいやと思って匂いを嗅いでみると、あまり臭くなかったので、すでに洗った分《今、耳圧迫が来た》を水に落としてしまったと分かってガッカリした。

目を覚ました後、またブログを読んだり風呂に入ったりした。そのあと日記を書き始めたが、昨日の分を読めばわかるとおり妨害が入って途中で頓挫。怒って口頭で加害者をやっつけたあとワインを飲んで寝た。その時見た夢は、

①前半部分はほとんど覚えていないが、覚えているのは最後の場面で、これまた実在するロケーションから持ってきたと思われる、リアルな街角風景の中にいた。大きな駅周辺によくある、大通りが碁盤の目状に走っているような街角。あまりにありがちなのでどこの街角の一角なのか、同定できない。そこに変な年配の男と一緒にいる。男は眼鏡をかけていて、自らを手塚治虫と名乗っていたが、容貌は本人には全然似ていない。私は自分が描いた漫画か何かを彼に見せるも、タウン誌の挿絵みたいだなどと酷評された。一方、男は私の目の前で何か芸を披露した(その内容は忘れてしまった)。それがキチンと決まって、男は「それじゃさいなら」と言うと足早に車に乗り込んで去って行った。残された私は悔しくてたまらず、「気に喰わねえな」「お前が手塚治虫のわけねえだろ」「お前が手塚治虫を名乗るなんて百年早い」などとわめいた。するとその声が、対向車線を走っていたかパトカーのスピーカーからそのまま鳴り響き、右折して対向車線に入ってきた車のナンバーを見ると「81 81(ハイハイ)」だった。茶化されていると感じ、腹を立てながら車道を歩いて行くと、私の懐から何故か大量のしらすがドサッと道に落ちた。しらすは一匹一匹が一つの命なので、もったいないから一匹も残さず食べようというこだわりを私が持っているのを加害者は知っていて、感情的になっている時でもそのこだわりを貫けるかどうか試してきたものと思われる。しかし私は落ちたしらすを大事に拾い集めるようなことはしなかったようである。
②バイクに乗って移動しながらポスティングをしている。薄暗がりの細い道《今、耳圧迫が来た》を走っていると、前方に数人連れの通行人が歩いていて、その中にA布の同級生のM島君がいたが、声はかけなかった。そのあといつの間にか周囲は明るくなっていて、私はとあるマンションの集合ポストで投函作業をしていたが、その場所のリアリティは完璧だった(実在の場所であろうことが想像される)。その集合ポストは階段を上った2階のホール様のスペースの壁際に設置されていた。私の周りに数人の背広姿の男性がいたのだが、私は彼らを自分が今配っているチラシの営業担当者のグループだと思い込み、一人ひとりに「いつもお世話になっております」と声をかけたが、ことごとく無視された。最後に声《今また耳圧迫が来た》をかけた男性は、「ここの3つ入れないように」と私に対して右端に縦に並んだ3つの予備ポストを指し示した。私はその上にさらに引出しみたいなものがついているのを見つけ、「これもですか?」と訊いたら、「いやそれもそうだろうけどさ」と男性は居丈高に答えた。私はここで我慢が尽きたようで、「はい」と言うや否や、脱兎のごとくそこを飛び出し階段を駆け降りていった。足の裏に伝わる階段の感触は駆け降りた時もリアルであった。階下のエントランスに高校の同級生のK藤君と思しき人がいたが、あっという間に通り過ぎてしまった。建物を出て外の道路に出たところで初めて振り返ると、先程の営業マンのうちの誰かが私が飛び出していったことを不審に思ったのか、走って建物の外まで追って来ているのが見えたが、私と目が合うと引き返して行った。

目が覚めると、目ショボ感と、それに伴うものなのか、頭の中心のほうに鈍痛が広がっていた。少し頭を動かすと、ゲロ咳も出た。《今また不快刺激がON》そのあと支度して仕事に出かけた(有楽。土橋2・4+リハウス。2担当者分+共通エリア)。途中で進路を変更した台風の接近に伴って雨が降り始めた。そのうえ鷺沼で配っている最中に突然携帯の電源が落とされた。電源だけではなく、バッテリー残量そのものが消されたので、携帯はもうそれ以降使えなくなった。

~後略~

2009年10月27日(火)

12:52
今日も室内より。左上腕骨骨折(後述)で右腕しか使えない状態で書いている。

昨日はあの後、ワインなどを買いに相模原駅前通りのダイエーに行った。帰ってきて買ってきたワインを飲んでグラタンを食って寝た。その時見た夢は、

①何かロック調の音楽が流れていて、それに合わせて歌うか何かしてちょっと気持ちが良かった場面があったようだ。
②一回目覚めた後もう一度寝入ったときに見た夢。最後の方しか覚えていないのだが、また実際の自分の部屋とは違う部屋に住んでいるという設定で、私の右側に見知らぬ30代くらいの女がいて、左側には外国人(白人)と思われる男性がいたようだ。女性が私に一枚の書類を延べて寄越し、「妊娠中絶同意書に記入してもらいます」と言った。何のことだ?と思ったら、女性は英語で「○☆△ □、Chicken boy!」と叫んだ(発音は良かった)。私は「チキンボーイ?お前こいつ(外人の男性)に対しては(私が英語がわからないと思って)違うこと言ってるだろ!」と言った。すると女は、男が性交するときのスラスト運動を嘲笑的に真似してみせた。私が「なにそれ。頭おかしいんじゃねーの?」と言ったところで目が覚めた。

目が覚めた後、首筋一帯に強い痛みが残っていた。そのあと支度をして仕事に出かけた。

現場近くの馬絹の交差点まで来たところで、左折をしようとしたときに、折からの台風で出来た水溜まりの上を通る形となり、そこでタイヤが大きくスリップして左側に転倒してしまった。体の左側全体を痛打したが、特に左肩から上腕が痛くて動かせなくなった。しばらく道端で痛みが引くのをひたすら待っていたが、これ以上は無理だと判断して仕事は中止し、尻手黒川道路から左手をかばいながら小雨の降る中をトロトロ運転で帰ってきた。帰り道、聞いていた良田麻美の「チャイム!」で、「左肩に滴る雨」というフレーズが延々と出てくる曲が流れたのがあまりにもタイムリーだったので苦笑した。やはりこのことは放送局(ナック5)に伝わっていたらしい。

帰宅後朝飯を右手で食い、そのあと少し寝たが、布団の中で少し身動きしようとするだけでも左の肩口に激しい痛みが走る状態で、腕が楽になる位置すら定まらない。夜の明けるのを待って携帯ウェブで検索し、近くにある整形外科医院に予約を入れた。
そのあと朝イチの9時受付の10分前に間に合うようにバイク片手運転で駆けつけた。建物外に東向きに置かれた待合ベンチに当たる日射しが異常に強く、すぐに汗まみれになった。医院前の脇道から出てくる車に「9314」ナンバー等もあったので、例の遠隔的な灼熱攻撃とのコラボが疑われる。
その後診察してもらい、レントゲンを4枚撮り、腕をつるす帯をかけてもらい、冷湿布を貼ってもらった。全治2ヶ月とのこと。明日も通院する予定。最後支払いのカウンターにいるときに、タイミングよく入ってきて隣に座った若い男が「かつきさん(例の名前呼び間違いアンカリングと同じ名前)」と呼ばれたのを聞いて少し気になった。
帰宅後、会社に電話して事情を伝え、回収してもらうように未配布分のチラシをマンションエントランスに搬出した。その後、加入している生命傷害保険のことについてチューリヒ保険に問い合わせた(今回は通院のみなので、保険金は出ないとのこと)。

このさき当分の間、仕事が出来ないということになる。

2009年10月28日(水)

11:16
今、淵野辺公園に来ている。天気は爽やかな秋晴れといったところ。

昨日はあの後ワインを飲んで寝た。その時見た夢は覚えていない。目が覚めたときまだ昼間だった。その後もごろごろしたが、骨折の痛みで身動きもままならない。そこで医院でもらってきた鎮痛薬を飲んだら、効いてきて楽に過ごせるようになった。その後は携帯でウェブを見るかゲームをするかくらいしかすることがなかった。夜11時半ごろに寝たが、その時に見た夢はいろいろな人たちが出てきて賑やかだった。例によって感覚的リアリティは高かったが、論理性を辿りにくいタイプの夢だったようだ。
覚えているのは、

①どういう事情か、とある女性の部屋にしばらく泊めてもらうことになったようで、その部屋で女性とまったりしていると、いつの間にか彼女の夫が帰ってきて、三人で夕食の食卓を囲むシチュエーションになっていた。私は彼女の夫に気を使いながら接したが、心の中ではこれじゃあ長逗留はできないなと思った。そのうち酒が入ってきて、夫の態度がちょっとほぐれ始めて私も少しリラックスしたが、私が女性に対して何か一言少し馴れ馴れしい口をきいたときに、また空気が少しこわばったのを覚えている。
②夜の街角を数人連れで歩いている。飲み会の帰りのような雰囲気だった。一行の中にどういう係り合いか覚えていないが、やり手の女性というような人がいた。実際には知人では無いのだが夢の中では知己があることになっていて、彼女に関する記憶もあったらしい。彼女の話題になった時に、私は「夢の中でレイプされたとか言うんですよ。エッ?て立ち止まりたくなるようなことを突然言い出す」などと言った。その場面の後あたりに、
③なぜか警備員か何かの業務報告書のようなものが視野の中に広がり、若い女の子が書きそうなとぼけた字体であれこれ記入されているのが見えた。何の作業かを書く欄があったのだが、そこに書類に不向きな要領を得ない言葉(具体的には忘れた)が書いてあったので、これは現場の作業員に尋ねて、返ってきた言葉をそのまま書き写したのだろうな、と想像した。
④繁華街からは離れた寂しい街道沿いの歩道に居た。そこでは小学校の同級生だったN川君らしき人物と一緒だったが、彼は私の前で論評めいた難解そうな言葉をブラブラと喋り出した。しかし私には彼が何を言ってるのか皆目わからなかった。
⑤一人で住宅地内の道路を歩いている。《さっきから日射しが異常に強い。日射しにかこつけたピンポイントの熱照射の疑いを感じる》目の前にインドネシアのユキさんとおぼしき人がいたので声をかけようとすると、車が大急ぎで2台駆けつけて来て巧妙に私とユキさんの間に割って入る形で停車し、妨害してきた。仕方がないので車の外を回り込んでユキさんに近づき、その後、道端にあったティールーム(?)の2階に入り、話をしたようだが、その内容は覚えていない。彼は確か本人であることを否定していたようだ。その後の場面はさらに記憶がぼやけるのだが、
⑤確かどこかのアパートの1階の薄暗い部屋に起居していることになっていて、そこに電話がかかってくる。電話機は外にあったようで、私は部屋から出て電話を取ったが、そこでは数人の野次馬に囲まれていたようだ。電話の要件というのは誰か芸人(志の輔か笑瓶)と一緒に住むのはどうだ?という提案だったようだ。そうすればいい部屋に住めるぞという話だったと思う。私が電話口で躊躇していると、「それでもダメかい」という、優柔不断をなじるような声がしたが、その時は電話の向こうにいるらしい笑瓶の映像も目に映った。私は「とりあえず南の方に出てみます」などと言って電話を切った。
⑥その後その同じ部屋に外から勝手に入ってこようとする人間がいて、私がアコギを振りかざして対峙すると、それはインドネシアのユキさんに似ていたが、顔こそユキさんに似ていたもののずいぶん背の小さい男だった。この夢全体でユキさんらしき人物は確かこれを含めて三人出てきたように思う。

目が覚めると目ショボ感が残っていた。まだ夜中だったが夜が明けるまでまた横になって携帯をいじっていた。6時半ごろ朝食を食った後にまた薬を飲んだ。その後もまた眠気が訪れ、その時に見た夢では、

確か電話が二回かかってきて、出ると二度ともマドンナの同じ楽曲(ちょっと東洋的なムードを持つ実在の曲)が電話の向こうから聞こえてきた。二度目にかかってきたときには若干歌詞が聴き取りやすく感じられたので注意して聴いてみると、(英語そのものは忘れたが)歌詞の内容は「私はあなたのすぐ傍にいる」というような意味だったようだ。

目覚めると、傷害刺激がかけられており、不快だった。また喉が干からびるように渇いていた。その後一苦労して簡単な入浴を済ませて今日は徒歩で医院に向かった。今日の診察は簡単に済んだ。歩いて部屋に帰ってきて、ブログチェックなどをしていたが、天気も良いのでやはり出かけることにし、バイクで淵野辺公園にやってきた。

2009年10月30日(金)

18:44
自室にて。

昨日はあの後、「ワールドウォー3」を見ながら清酒を飲んで寝た。寝入りばなのウトウトしている状態のときに、父が出てきて私の被害をせせら笑うようなニュアンスで一方的に否定してくるというワンシーンドリームを見た。逆上した私は相当激しい言葉で言い返したようである。そのあと午後まで寝たが、その時に見た夢は覚えていない。ただ目覚めたときに、何か言い足りないようなもどかしさや不全感を残していたようなので、夢の中でまた何かトラブるシーンがあったのかもしれない。

〜後略〜

2009年10月31日(土)

12:59
今日は鹿沼台公園に来ている。図書館の帰り。

昨日はあの後、テレビ(久々にMステ)や携帯ウェブを見ながらゴロゴロし、夜10時台ぐらいからまた清酒を飲んで飯を食った。そのあと眠くなり寝たが、

13:21
(ベンチでの書きごこちが悪かったので、どうせ近いので帰宅した。続きを書く)
その時見た夢は、短く浅い夢だったがたくさんの場面が展開した。

①思い出せる限り最初の場面は、見知らぬ部屋でゆずのようなJ-Popの曲が聞こえてきたので、それに合わせて適当に歌うというシーン。
②ガレージのような場所で、背の高いメガネをかけた外人(白人)に文句を言うシーン。内容等は覚えていない。
③省略。
④省略。
⑤車の後部座席に座っている。周囲は商店街で、なぎさ通りと逗子銀座通りの三叉路付近のような雰囲気のロケーションだったようだ。道が渋滞しているのか車は停まっているようで、私の右隣には若い女性(鈴木あきえ? )がいた。カーラジオか何かから音楽が聞こえていたので、私は目の前にあったパンフレット状のもののページの間にできた隙間を鍵盤に見立てて、それをメロディーに合わせて叩き始めた。すると隣にいた女性もそれを真似し始めたが、見ていると彼女の方が正確なようだった。そこで私は彼女に覆い被さり、背中から両手を回して胸を揉み始めると、意外なほどに大きく、手ごたえがあった(相手の抵抗等はなかった。また、現実には今左腕が折れているのだが、それが夢に反映されることはなく、支障なく左腕は動いた)。
⑥なぜか古本屋の狭い通路の床で寝転んでいる。A布の同級生だったY下君と思われる人物が店の奥から私の横を通りすぎて出て行こうとしたが、その時に彼の足が私の頭に当たった。痛い、と思ったが、彼はそのまま出て行こうとするので、聞こえるように大きな声で「いてっ!」と言うと、自分でも驚くほどその声が大きく響いた。彼はそれを聞いて立ち止まり、引き返してきたが、また私の横を通り過ぎて元のところに戻っただけで、何も言わない。なんだ?と思っていると、頭を横からいじってくるような触感が発生し始め、恐怖を感じて振り向くと、そこにはショートカットの白いセーターを着た女子高校生とおぼしき若い女の子がいた。私はこの子にも挑み始め、今度は相手を仰向けにして正面から胸を揉んだ(この子の胸は小ぶりだった)。

~中略~

9時前に朝食をとって、眠くなって寝たが、その時見た夢は、

①昨日と同様、父との言い争い。そっくりなシチュエーションの夢が、同じようなタイミング(朝食後の朝寝の冒頭)で2日繰り返されているので、これは加害者による人工的な状況設定であろう。逗子の家の一階部分を回廊のように一回りしながら口角泡を飛ばした。今現在の私が目の前で父に私の被害を否定・隠蔽されたら、おそらくこんな感じになるのではないかと思われるようなリアルな逆上っぷりだった。
②スーパーのレジ前にいるのだが、レジ係が不在のようだった。私は自分のカゴの中の商品を取り出して、バーコード部分をセンサーに当ててみたが、反応しない。周りにいた客から「そこじゃない」と言われ、裏を見るとそこにもバーコードがあり、そちらに当てるとピッと反応した。そのうちいつの間にか周りにいた客たちとの共同作業で自分たちの買い物の精算をやっている状況になっており、一旦バーコードを当てた商品を確認し直そうとして、前方にいた別の客に、「はんぺんある?」などと声をかけたのを覚えている。
③1対1で面接を受けているのだが、何の面接だかはっきりとはわからない。ただ雰囲気的には、大学への入学に必要な面接といった感じだったと思う。自分の経歴が志願者として特殊だと自覚していたので、説明が必要だと感じ、「僕、40なんですよ」に始まり、いちど若い頃に大学に行ったが中退し、就職したがその後転職を繰り返し、また別の大学に入って…という自分の経歴(実際に今、面接を受けることになったら本当に語る必要が出てきそうな現時点でのリアルな経歴)を語っているうちに、目が覚めた。

~後略~

2009年11月1日(日)

13:33
今日は室内にて。外は晴天だが風強し。

昨日はあの後、清酒を飲みながらビデオで「マトリックス」を見た。その後さらに飲みながら、テレビ等を見たあと寝た。その時見た夢は、色々な場面があったようなのだがあまり思い出せない。前半の方では父と行動を共にしていた場面があったようだ。また、屋外テーブルがたくさんあるカフェのような店(場所は鎌倉だと何故か認識していた)で、そこにいた他の客と語らうような場面もあったような気がするが、詳細は思い出せない。比較的覚えていて説明可能なのは後半のほうに出てきた2つの場面。

①教室の中にいる。私は右側(廊下側)の一番後ろの席にいたようだ。ランチタイムなのか、様々な食べ物が運ばれてきて出席者に配られていたのだが、ふと見ると、真ん中あたりの席にいるメガネをかけた見知らぬ男性は、他の人には供されている料理(かぼちゃの天ぷらだったと思う)が与えられず、給仕として回っている若い男があげるふりをしてあげないという意地悪をしていることに気づいた。眼鏡をかけた男性に二度、そういうことが続いて起こったのを目の当たりにして、私は怒り、給仕に抗議した。最初周りは何ごとかと振り返ったが、最終的には私の抗議は認められたようである。
②細い道(体感的には幼稚園の通園路にあった場所に似ている)を歩いていると、道端の家の庭先から何やら変な生物(何かファンタジックな特徴を持つカエルか何かの動物だと思ったが、はっきり思い出せない)が姿を見せており、それを見て面白がっていると、その家の住人らしき若い男が、「スカイ○○○○のファンクラブに入ってください」といきなり言ってきた。答えに窮していると、話題を外らすにはちょうどいいタイミングで上空が騒がしくなってきた。見ると、大きな編隊の飛来なのだが、その姿はどう見ても飛行機ではなく戦艦で、青空を海に見立ててそこに艦隊を浮かべたような絵になっていた。特に中央に陣取っていた航空母艦とおぼしき大きな戦艦は目を引いた。私のいる場所はいつの間にか小さなマンションの外通路みたいなロケーションに変わっていて、私はこの編隊を写真に撮ろうとデジカメを取り出した。カメラはメカニックなディテールまでリアルだった。編隊の移動する動きに合わせて、マンションの通路を歩きながらデジカメを構えるのだが、初めて扱うデジカメで、全然操作がうまくいかない。最初に撮った時はカメラの表裏を間違えて、自分の顔に向けてシャッターを押してしまった。またシャッターを押してから実際にシャッターが切れる(シャッター音が鳴る)まで、かなり時間がかかったのを覚えている。編隊の動きを追いながら確か3回シャッターを切ったが、満足のいく写真は撮れなかった。

~後略~

2009年11月2日(月)

11:01
自室にて。外は曇り。

昨日はあの後、ワインを飲み始め、テレビを見たりネットをやったりしているうちに寝た。その時見た夢ではさまざまな場面が展開したようだったが、覚えているのは後半の方だけで、その記憶も虫食い状態。ともあれ記しておく。

①とあるオフィスで働いている。どんな業種かはよくわからなかったが、コーワーカー達は比較的若い男性が多く、いわゆるオシャレな雰囲気を醸し出していた。そこでは私の席も決まっていて、通路を挟んだ隣の席では音楽が鳴っていた。確か私の席の並びの左端に髪を金色に染めていた人がいたようだ。私が自分の席に戻ってくるときには、真ん中の通路で「彼」という名札のついた男性とすれ違ったが、名札をよく見ると、「彼」という字に「かれし」というふりがなが振ってあった。
②そのあと乗り物(自転車かバイク)で、駅前プラザみたいな広場に入って行き、内側から出入口の門の近くまで行った。出入口の脇にあったと思われるミーティングルームのような場所で、携帯電話の配信番組のコンテンツが多彩になったというようなニュースを聞き、私はなぜか「宇多田ヒカル、宇多田ヒカル!」と言っていた。
③そのあと前述のオフィスに戻り、コーワーカー数人と立ち話のような状況で隣の席から流れてくる音楽を聴きながら、「これはリミックス?別々の曲を重ねているのか?もしテンポとかが違っていたらどうするんだろう?」というような素朴な?疑問が浮かんだので周りの人に訊こうと思ったが、「違っていても調整して合わせられるんだろう」と自己解決して訊かなかった。その後、不意に下半身に触感を感じ、おそらく宇多田ヒカルとおぼしき女性に、「おいおいしゃぶってんのかよ!」などと叫んだ。
④その後、細長く続く溝(枯れ川?)の中を歩いているという場面になり、前を歩く男の足元にギラリと光る生物が絡みついたと思ったら、その生物は脇の草むらの中に消え去って行った。一瞬見えたその姿は大きな鯛に似ていた。私はその男に「大丈夫?どこかに電話しとこうか?」と声をかけた。しかし男は、「大丈夫、どこにも電話してなくても良い」と答えた。私は一旦通りすぎたが、やはり気になったので携帯を取り出して電話をかけた。その番号は警察でも救急でもない普通の番号だった。最後の数字「1」を押し間違えて「2」を押してしまったら、携帯画面に通話先として「ホンダ宮崎○○○○」という文字が表示されたので、すぐに切った。
⑤その後、多分逗子の自分の部屋のような場所で、携帯をいじっている場面になった。携帯はどこかに通じていて、誰か男の声と話していたが、その声がハウリングを起こしてしまっていて調子が悪く、また通話内容が筒抜けになっているように感じていた。そこで携帯のケースを開け、配線を確かめてみると、何かの線が切られているのが分かった。「こりゃ、はんだがなきゃダメだ」などと言っていると、電話(実は音声送信? )の相手が「俺たちの仕掛けはすごいだろう」みたいなことを言ってきたので、「全然だめ。たいしたことない」と言い返した。

そのあたりで目が覚めたようだ。そのあと再び寝た時に見た夢。

前段にあたる場面もあったはずだが忘れてしまった。覚えているのは商店の店先で買い物しようとしている場面から。その店はどうやらカマタの家のテラスに当たる場所にあったようで、店の主人はコバンとおぼしき人物だった。私がタバコを買おうとすると、そんなものは吸っちゃダメなどと言われた。タバコのコーナーには2箱くらい外国製のパッケージのもの(クレテックのような)があったのだが、よく見るとそれらのほかに日本製のパッケージ(マイルドセブンのような)もあって、開封されて中身が半分くらいしか入っていないものも置かれていた。「これでいいから」と私が言うと、コバンは、「大体いくら?大体いくらってなんていうの?」と訊いてきた。私は英語を訊かれているんだと思い、「ハウマッチ…アバウトハウマッチ?」と言った。するとコバンはサッシの上に付いているマイクに向かって、「アバウトハウマッチ」と言ったようだったが、私にはその声は不明瞭に聞こえた。「全然答えが返ってこないね」とコバンが言ったので、今度は私がタバコの箱を持ってマイクの下に行き、「アバウトハウマッチ…ディス?」と言ってみた。すると突然、「Warta brita ASEAN....」などとインドネシアのニュースの決まり文句が流れてきたので笑ってしまった。要は英語ではなくインドネシア語で言って欲しかったということらしい(インドネシア語だとkira-kira berapa?で、こちらの方が私にとっては馴染みのある文句なのだが)。
③郵便局の待合室のような場所に座っている。前のほうの席で女性が突然、「そうかっていう文字が現れましたよ!」などと大きな声で言った。「何のことだ?郵便局だから地名の方か?」などと訝しんでいたら、たちまち表の通りが不穏なモードに変わり、車や人が殺到し始めた。私たちの座っていたベンチはいつの間にか車の座席に変わっていて、道端に停車している状態になっていたが、我々の乗っている車めがけて脇道からバギー車が突進してきて、左の前輪が外れたかと思うと、外れたタイヤが我々の車にぶつかった。その後、我々の車の後部から若い男が乗り込んできたので、一番後ろの席に座っていた私が応対した。男とのやり取りの中で、ちょっとした啖呵を切るような場面があったようだ。「△○☆□な人間は、この車には一人も乗ってねえ!」というセリフだったと思うが、肝心の部分が思い出せない。
④広大な芝生の公園に来ている。ゴルフ場だったかもしれない。何かの団体の催しに参加している様子で、全体としては多人数なのだが、それが小さな班に分かれていて、それぞれがゴルフのグリーンのような小高い場所を見つけて陣取っていた。《今、強くはないが先ほどから床が振動していることに気づいた》そこでそれぞれの班が、カラオケ大会みたいなものを始める準備をしていたのだが、リクエスト、リクエストという言葉が盛んに飛び交っていたので、他人からリクエストされた曲を歌わなくてはいけないルールだったのかも知れない。私のいるグループでは、それまで私が親しく話していた男性(誰だかハッキリしない)がフライングのように全体のトップを切って歌い始めたのだが、その歌声がびっくりするほど大きく響き渡ったので、これは一番遠くのほうに陣取っているグループにも聞こえただろうなと思った。

目が覚めたら明け方になっており、目ショボ感が強かった。

2009年11月3日(火)

11:44
自室にて。窓から見える空は快晴。寒いけど。

昨日はあの後、ワインを飲んで寝た。その時に見た夢は、最初のほうにいくつかワンシーンドリームが続いたようだ。

①省略。
②省略。
③私は道を歩いている。何処かからの帰り道だったのだが、それ以前の場面は思い出せない。道は未舗装路で、周りの風景はどことなく田舎っぽい。体感的には久木新道を降りた辺りに少し似ていた。道端にメガネをかけた女性が待ち伏せするように立っていたのだが、私が家に着く直前、その女が猛スピードで私を追い抜いていったかと思うと、「いっちゃーく!」と言う声(多分SE)が聞こえてきた。勝手にレースを挑まれていたということらしい。その後、「家」に入るが、そこは例によって実際には見知らぬ家であった。寮のようなところなのか、他に若者たちがいて、私も部屋で彼らと一緒になった。彼らについてははっきり覚えていないのだが、外国人だったかもしれない。なぜかその間じゅう私の心の中でマイケルジャクソンの「ヒューマンネイチャー」という曲が流れていて(音声送信によるものかもしれない)、その曲をずっと口ずさんでいたようだ。確かギターも手元にあって、何か弾いたかもしれないが覚えていない。その後、細いつづら折りの廊下(体感的ロケーションとしてはこの前も夢に出てきた幼稚園の通園路に感じが似ていた)を歩いて行き、風呂場に向かった。風呂場はやたら暗く、土間の中にあって、古風というのか何というのか、ちょっと見たことも無いような様式だった。同じ土間の中に大きな木製のトイレらしき構造物があり、天井の真ん中には洗濯紐が渡してあってそこに汚れ物がかかっていた。その汚れというのがべっとりと茶色で、イヤな感じがした。そこに新たな干し物を架けている人物がいたのだが、それは早稲田の時の友人のM君に似たイメージだった。件の茶色い汚れ物からだったかは分からないが、ちょっとそれっぽいニオイを感じたので、とてもここの風呂を使う気にはなれなかった。

目が覚めた後、深夜のテレビを見たり、良田麻美の「チャイム!」を聞いたりしたが、4時ごろ朝食(ボンカレー)を食い、その後また眠くなって寝た。その時見た夢は、

①冒頭のほうの短い夢。おばあちゃん(祖母)の家のトイレをなぜか風呂場だと思っていて、風呂に入ろうと思ってトイレの前に立っているのだが、どうしても気が進まないというシーン(前の夢と少し似ている?)
②とある山小屋風の家に住んでいることになっていて、そこの整理整頓作業(引越し準備?)をしている。父が出てきて何か物のありかを私に聞いてくるのだが、私はそれに対して適当な受け答えをしてしまう。その後、3階(天井裏?)に上って行き、二人でそこでの作業を始めようとした時、まずたくさん並んでいるコップを片付けようと父が言ってきた。詳細な事情が思い出せないのだが、ここにコップがあるということが先ほどの私の返答が嘘だったということの証になり、かつ私がヌード写真(?)か何かを見ていたことの証になってしまうというような情況だったらしく、父が真っ先にこのコップを片付けようと言い出したことが、全部わかった上での嫌らしい仄めかしのように感じられて腹が立ってきた。一緒にコップを運びながら、それを途中で放り投げるような真似をしたようである。
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR